2016年1月2日(八段語録2645)
母を囲んで兄弟家庭の新年会 「成長と覚醒」

毎年の事ですが、今年も、弟の二家庭が長男家庭である我家に集まって来ました。次男家庭が夫婦と娘、三男家庭が夫婦と二人の娘、そして我家の家庭が、息子夫婦とを入れて八人と合計十五人という大家族の集合という事になりました。盆と正月は必ず集まってきました。この集まりも私が故郷に帰ってからの継続ですから、すでに二十数年はゆうに越えているのです。
お互いの家庭の子供達が小さい時から、今に至るまで、家庭を守り続けてきた伝統を感じるのです。兄弟が仲が良くなければ、このように続かないのです。父は四年前に亡くなりましたが、母が元気でいるからという事で、本家詣でのように集まってくれます。妻の千順さんは、食卓の準備の為に昨日から準備をして来ました。誰も欠ける事なく、集まってきているという事に、安堵の気持ちが湧いてきます。
さて、このように親族が顔を合わせて新年をお祝いできるのは、一人一人が昨年一年を、しっかりとした、足取りで歩んできたという事です。平和に過ごせたという背景には、日々闘い、己がポジションを守らない限り、良き「集まり」はできないのです。私の場合は、長男家庭として、地に足をつけた歩みをし続けてこなければならなかったという事です。どの家庭を見ても甘い生活をしてきたわけではないということです。また道義的関係で集まってきているわけでもないのです。親戚として愛の道理の道に、立ち続けてきているということを確信しているのです。お互いにの家庭が細心の注意を払って暮らしながら、愛情の絆を貫いてきたということだと思うのです。
ところで、私の意識は、長男家庭として、森家の親戚と全てを守っていこうとする意識は強いのです。他人事の用事は簡単かもしれませんが、親戚を守るという気持ちは、愛情を団結させなければならないので、しっかりとした、流されない気持ちが必要になってきます。まず身内から固めていくということは、困難を極めるのです。崩壊も裏切りも身内からあります。それを束ねるという気持ちは並大抵のことではないと思っているのです。私の場合、弟家庭に頼った事はないのです。何事もお世話をするようにという、気持ちが夫婦ともに強いのです。そのための森家の維持であり発展を続けようとする動機になっているのです。今日も母を中心とした、親戚の集まりを眺めながら、胸に熱いこみ上げてくるものがありました。
このような親戚の集まりの絆が、道場生を愛情で持って稽古する原動力になるのです。心が冷えていては、ただ技術だけのことだけです。年頭に掲げた「道場生の成長と復活」をなしとげていくという気持ちは、こうして私の心に染み込んでいくようです。年末大晦日にスターウォーズを観たので、より想いを「成長と覚醒」と変更したい気持ちになりました。映画に影響されているのでしょうか。世界の道場生を成長と覚醒の年としての出発をしたいというのが心の叫びのようになってきました。極真空手はあくまでも一つの手段であって、世界を駆け回流ための道具でしかないのです。そのように標語を掲げようと思っているのです。