2016年1月1日(八段語録2644)
謹賀新年 最大限の成長と復活をする道場生の育成

今年の目標とスケジュールをはっきりさせ、その目標を達成させるという事を意識するのですが、その原点は、多くの道場生を育てるということなければ、道場の方針が失われてしまいます。道場は人を育てるところでありますから、指導者と道場生が、極真精神を中心として、心情的な絆を結んで、杭を打ち、思いやりでもって溶かしていかなければならないという事なのです。その闘いをしなければ、どんなに基盤が広がろうとも、私達の目標とは関係のない事なのです。
もうすでに、二十年の歳月に及んでいるこの極真会館宮城県本部の伝統が、社会の人々に役立つ人を育てなければ、何の意味もないという事です。人を集めて、お金を集めて、どのような意味を持たせようとするのでしょうか。私達の行く終着点を目指して、同調する群れを雲集するようでなければならないという事です。そうせずには、この宮城県本部を創設した意味をなさないし、この仙台に根を下ろした事にならないという事です。
そして、私達が、この気持ちで、この溝を埋めて、死んでもなさなければならないという宿命であると思うべきです。誰に命令するわけではないのです。まず一人一人が、自立して、社会に役立つという人材にならなければ、この団体の意味をなさないという事を肝に銘じなければならないのです。
 この団体が、愚連隊の集まりにしてはならないのです。ただ強くなればいいというだけの観念と思想で推し進めることは出来ないのです。道場での稽古そのものが、絶えず成長と復活の場になるべきです。「今日の稽古は、本当に充実していた。感謝であり、驚くべき稽古」であったと、道場生が思える舞台にしなければならないという事です。今まで、話してきた、内容と同調しない道場生であったら、いつでも荷物をまとめてくださっても構わないのです。
あくまでも昇級、昇段道は、目の前にいる先輩の歩みであり、指導者の歩んだ道であり、しいては私が八段まで昇りつめてきた道を提示するのです。私個人は、人を育てようとする気持ちで燃え上がっている人です。その為に生涯を捧げてきたという事です。道場生が社会に貢献していく姿を見るのが、死ぬほど好きなのです。私以上に道場生がならなければ、道場を開いている価値は無いのです。
 ところで、極真会館宮城県本部についてくる道場生に、今年提言することは、「最大限の成長と復活を成してください」という事です。このような成長と復活は、一人ではできないのです。この極真空手の伝統が手助けするのであり、そこに頼りになる指導者がいるのです。世界への道を開いてきたのも極真空手なのです。私の極真と共にある人生が物語っているのです。日本民族を背景とした個人と、団体として、世界に影響を与えていける人になるべきだというのが、今年の私の主張なのです。私は搾取をしようとはしません。この道場で成長し復活してくれる道場生を求めるだけなのです。私の道場の理念には、侵略性はないのです。他の団体に対して、闘いを挑むという事はないということです。ただただ、道場生の成長と復活だけが、私の誇りという事です。私が人生で回収してきた、人材と財産をすべて、この人材教育に全てを投入するのです。その為に、苦労でもって出発したので、苦労でもって終着点を目指そうと思うのです。今年もよろしくお願いします。