2012年2月22日(八段語録1600)

自分に対する姿勢


 とにかく一歩ずつゆっくり進もうと思っています。そこでの自分の心構えは、徹底していきたいという事です。有益な人生を送るために必要な事であると思っております。私の信念は、この点に関しては変わっていないのです。徹底する事に意義を感じています。どこまでも徹底する人生なのです。これからの人生行路もこの意識から外れることは無いと思っております。私は人生を振り返って、この意識を興奮せずに書くことができないのです。徹底、徹底、どこまでも徹底なのです。
息子とも話す機会があるのですが、この意識はまだ少ないようです。人生に徹底、極真空手に徹底、夫婦愛に徹底、家庭に徹底、子育てに徹底、中途半端は嫌なのです。この徹底に慣れてきたのかもしれないのです。手近の一歩を、わがものとする事に全力を傾けてきたのです。人生をシャボン玉のように見る眼には美しいのですが、所詮破裂して、何も残らないのです。そのような生き方は、私が一番嫌う生き方なのです。
 そのことゆえに、第一に、自分に対しては、節制と忍耐に慣れてきたのです。空手道においてももちろんなのですが、苦しい努力をするようするのです。この意識から逃れれば、人生を失敗してしまうケースにハマってしまいます。他人を批判している暇はないのです。取り組むべき事実をまず認識し、次に比較し、そしてその為にあらゆる方策を集めるようにして来ました。鳥の翼がどんなに完全であっても、空気の助けがなければ、鳥は飛ぶことはできません。節制と忍耐というものが私にとっては空気なのです。このことを原点にしなければ、私は決して飛び立つことはできません。このことを意識しなければ、私の人生は空しいばかりです。
これからも、節制と忍耐は続きます。そして学び、観察しつつ、努力しなければならないと思っております。このブログも事実の記録だけになってはいないのです。何でも研究し、真実を究め、あらゆる可能性を見出す努力をしていきたいのです。そして、事実を支配している法則を根気強く探そうと思っています。それが、人生というものだと思うのです。
 第二には謙譲に生きることにしています。すぐに人は、「俺がやったのだ」思いたがるのですが、そのようなことは、夢にも考えてはならないと思っています。よしんば人びとが、私を高く評価しようとも、つねに「私は何もしていない」と自分にいいきかせるだけの男らしい気持ちを持とうと思っています。傲慢のとりこにならないようにしています。傲慢にとらわれると、自分を固執するようになるし、有益な助言や親切な援助をも、断るようになってしまいます。また客観性を失ってしまうものです。
 第三には情熱です。このことは、六十歳を迎えようとしていますが、例え年齢を重ねても、人生というものは人間から、その全生命を要求するものと思っています。このことを忘れないゆえに、たとえ、生命が二つあったとしても十分ではないと考えています。人生は一層大きな努力と、情熱を要求するもののように思うのです。私は、どんな環境でも自由に生きてきました。これからも、常識に捕らわれることなく、歩もうと思います。そしてまた、極端だと思われるくらい十分に、冒険的生活を、しみ込ませていきたいと思うのです。これが、私の本性であり素性なのです。
これですべてがはっきりしているではありませんか。このように生きている私ですから、今いる道場生がついてくるかどいうかは、道場生の判断に任せるだけなのです。私には、社会が望んでいる大きな期待を果たすという名誉ある義務があるという、信念だけなのです。