2012年2月21日(八段語録1599)

道を開く


来年還暦を迎えようとしています。振り返って人生を検証するならば、何かを追い求めていこうとする気持ちが強いのです。こうして年齢を重ねて、集大成の時に来ているのですが、当然、「燃える心」を求めようとしているのです。極真会館の発展を願うという事を考えると、後継者の育成を図らなければならない役割にあると思っているのです。空手道の後継者という事ですから、それなりの生活基盤が出来なければ、続けていけないと思うのです。
もちろん、弟子として、修行を積んでいくならば、指導者になって、空手で生計を立てていく事が望ましいのですが、今まで指導者を目指して、生活が成り立つかというならば、出来不出来は出てくるのです。そのような事を考えるとするならば、柔道家のように、副業を考える道も、用意すべきであると思うのです。柔道家の場合は、柔道整復師として、社会に貢献する傍ら、柔道の指導をする道も準備しているのです。今では、国家資格ゆえに、柔道を指導するとは別に、多くの人が資格を取り、治療院を開いているのです。
知ってか知らずか、結果として息子にも、副業としての柔道整復師の道へ案内していたのでした。空手への情熱を失わないようにし、尚且つ社会貢献する道に相応しいと思ったのです。今息子が入学しているのですが、成績が思わしくないようです。頭が悪いのではなく、動機が弱いせいであると感じています。それだから、私としては、決断すべきことがあるのではないかと思うのです。つまり、空手の指導者として「燃える心」を抱いて指導者を育成する為に、息子の歩みを無駄にすることなく、極真会館で治療院の運営をするのも一方だと思うのです。指導者育成として、後輩の道を切り開いていくという事を考えようとしているのです。
 私は、「燃える」生き方を、極真会館の指導者に願うのです。どのようにするかという事を、これからの二世達の為に道を切り開くべきであると思うのです。その生き様が、息子同じ専門学校という土俵で育て、治療院の拡大を図り、空手道と生活を安定させていく事が出来たならば、後に続く者たちが、安心して空手道に携わることが出来るのではないかと思うのです。
 ところで、息子の柔道専門学校の入学は、これからの指導者の新たな境地を開拓するのではないかと思うのです。息子の、人体の研究に向かう学習も大いなる意義を感じるのです。当然柔道整復師という資格を得るという目標を持つ事は素晴らしいことです。しかし、それはあくまでも手段であって、目標ではないのです。空手道が主体だからなのです。ここで三年間、燃えて燃焼し、その結果、極真空手を通じて多くの青少年を教育し、生活的には治療院を運営する中で、過不足の無い生き方が出来るのではないかと思うのです。そのような事を考えながら、頭をくるくる回しているのです。