2012年2月19日(八段語録1597)

後継者


 財産を失っても、それほど痛手は少ないものです。しかし、人材を失った場合には、どうしようもないほど痛手になります。勇気をもって、委ねるという選択をして、二年半の歳月が流れました。極真会館宮城県本部の二代目の誕生を見たのです。不安の数の方が、自分が運営している数より多いのです。
 そして、「委ねよう」と思う意思を貫いたのでした。これまで運営してきた実績と、その時の決意の強さが、自分を支えたことは間違いないのです。そして、運営が始まるたびに、次の二代目が、成長していく姿を見たのでした。二代目は、運営に関わるたびに、成長が甚だしいのです。そうして、今日を迎えているのですが、本当の信念が二代目には生まれているのです。
 ところが、せっかく委ねても、また切に願っても、私が口を出し続けるとしたら、次の二代目として実を結ぶはずはないのです。その為に、立ち消えにならないようにするのに必死でした。もし、二代目が立たなかった場合の損害は、機会を失ったよりも遥かに大きいのではないかと思えたのでした。もし、自分が干渉したならば、その二代目の将来の目的を達成することは遅れてしまうし、心の冷たい状態で、しぶしぶ従ってきただけなのかも知らないのです。口先だけならば、誰でも委ねるという事が出来るかもしれません。でも実際にそのポジションを譲渡し、その場で発揮してもらおうとする私の勇気は、清水寺の舞台から、下りるようなものです。それでも信頼関係は強固に変えませんでした。
 私は、本当に信頼できる弟子を持った者だと喜んでいるのです。もちろん、「もってけ!泥棒」なのです。もし商売人ならば、商人として、やってはいけないという事やっていると言われました。つまり、「人と金」を委ねてはいけないというのです。そのような鉄則を、私は無視しているのです。それは、何事にも動じない信頼と決断力だと思うのです。おそらく、次に続く人物で、気概のある人間を作るとしたら、この方法しかないと思うのです。当然、心配や不安はあるものです。
 しかし、大人物として、これから目指す若者を育てられなくて、自分の価値はあろうかと考えてしまうのです。私が死んだ後も、その人物が大人物に数えられたとしたならば、それほど嬉しいことはないのです。私が、単に数知れぬ障害を克服していくだけでいいのです。もし、数知れぬ敗北に出会ったとしても、決断したのだから、元に戻るという事は決してしないのです。もちろん恐ろしくなることもあるのです。しかし、自分のやるべきことを一心に考えているのです。すっかり未来に対しる心構えが出来るならば、恐怖心や不安は無くなるものです。