2012年2月18日(八段語録1596)

ふと昔を振り返る


 子供の頃から、周りに溶け込めない性格であったようです。友達は、すでに決まっていて、それ以外の人とは、余り話さなかったのです。その友達は、長年の付き合いなので、十分に性格も分かり合えていたのです。そのような少年時代でしたから、自分の好きなような生き方が出来たのかもしれないのです。誰に褒められようとも思わなかったのです。両親と友達だけ認めてもらっただけで十分だったのです。
 閉鎖された友達との世界は、日本のリーダーになる夢を抱いても、否定もしない仲間なので、なんら平気なのです。友達との会話は、実に大きかったのです。皆、大学に入るのだったら、早稲田大学の政経でないと満足しないとか、片思いの女性とか、そんな話に花を咲かせていました。いつも、友達は大きな夢と理想が大好きでした。不思議に一人ひとりにガールフレンドがいて、その話にも夢中になるのです。
 ガールフレンドと言っても、未だ声をかけたこともない、自分の片思いに、思っている女性の話をするだけだったのでした。私の場合は、50㍍も離れていない、寺本厚子さんでした。幼馴染でしたが、言葉をかけたことが少しあるだけの関係なのです。それでも、友達と話しているときは、もう既に恋人になった気分だったのです。
 このような私でしたが、転機になったことがあったのです。それは、この国がどのようになるのだろうかと心配をしたのでした。そして、それなりに学生運動に参加していたのでした。それでも、満足できない自分があったので、高校生の時から、寝袋一つで、旅に出たりしていたのでした。そうすると、多くの人に会うわけですので、毎日のように話し合いをしたのでした。現実の社会を高校生という立場で覗いたことになるのです。
 いつの間にか、世の中、励まさなければならない人が多いことに気が付いたのです。もっと不幸な人たちを、自分の力で助けることが出来ないかという事を考え始めたのです。私より、つらい思いをしている人が多いという現実を知って、何か社会に役立つことが出来ないかと考えた事もこの頃だったようです。
 それだから、私の姿勢は、ここが原点だけに、利他主義なのです。他人の為に尽くすことに最大の喜びを感じる人生を歩き始めた訳なのです。それだから、エゴイステックな事にぶつかれば、悩みを抱えてしまうのです。自分の人生で、最悪という事も経験しました。しかし、その最悪で生命を失ったわけでは無いのです。これからが、本当に意味ある生き方をすべきであると考えてしまうのです。自分は、社会の為に生かされているという思いが、子供の頃から育ったのかもしれないのです。