2012年2月17日(八段語録1595)

再びの吹雪


 朝起きると、吹雪になっているのです。車を運転するのですが、視界が全く見えないのです。そこで、無理に朝のチラシを配布する事を断念して、家の中で、何かしら雑用を始めたのです。個人から家庭、地域社会、国家、世界という事を考えていくと、大きい事のようですが、小さくも感じるのです。そして、現実世界を生きていく為に、どのようにすべきかを考えている自分があるのです。
 振り返れば、両親から産声を上げて、還暦近くまで、必死に歩んできたのです。右も左も分からない中で、世間並みの幸福を掴んできたように思うのです。いつしか、自分の子供も成人を迎える年齢になったのです。そのような事から、自分を振り返ってみようと思うと同時に、もう一歩、強く人生を踏み出すようになりたいと思うのです。
 確かに精神的な世界を修業として歩んできたのです。極真空手を通じて、肉体の限界を超えて歩んだのでした。そこで掴んだことは、肉体の強化により、高い精神レベルを確保しようとすることでした。どれだけの成果が表れたのか、他の人と比較するものでもないので独りよがりな事は、間違いないようです。ただ、自分のやることは、十中八九やり遂げようと決意しながら歩んできたのです。それだから、ミッションを持ったならば百パーセント全力を尽くしたのです。そして、不安がある中でも、自信を持って歩み続けたように思ったのでした。
 そのような、歩みをしていましたから、この一日に少なくとも、自分の力のある限り挑戦しようと思ったし、必ずや成し遂げようとしたのでした。ある意味で、人間にできることならば、何でも出来るという気持ちになっていたのです。もちろん、今まで振り返ってみると、過去は困難ばかりのハードルの高い目標ばかりでした。
 私の姿勢は、ごく単純な事がらさえ、一生懸命取り組んだように思うのです。それが今の自分を形成しているのであるし、不安の目でミッションに打ち込んでことはないのです。必ずできるという信念だけが、自分の目をぎらぎらさせていたのでした。
 そして、還暦を迎えようとする年齢にさしかかった訳なのです。考える原点は、個人という事なのですが、今まで生きてきたこの肉体の神秘から、何かを掴もうと思うようになっているようです。六十年近くの間、人生という船を運航できたのも、この肉体という事になるのです。この肉体を、研究しながら、個人から家庭、地域社会、国家と世界という事を考え直すことも必要ではないかと思うようになっているのです。息子が習っている本を借りて、人体の勉強も始めているのです。そして、これからの人生に、この肉体の分析が深い意味があるのではないかと思っているのです。