2012年2月13日(八段語録1591)

自信


 私のいつもの姿勢は、安定を求めないという事だと思うのです。極真空手を始めたのも挑戦と冒険から生まれたのであり、このままじっとしていることが出来ないからなのです。その戦い方は、傍目に見るならば、危険に見えるし、そのような事をやらなくてもいいのではないかと保守主義的な発想を良く耳にするのです。今も還暦を来年に迎えるのだから、無理しない方が得策だと説得されます。それでは、人生の醍醐味など味わえないと突っぱねてしまうのです。空手道での試合の経験は、危険が身に迫る連続のポジションからなのですその時に、逃げ出すようでは駄目に決まっているのです。戦いの火ぶたが切って落とされた時から、決然として立ち向かう訳なのです
 当然、組手の最中は、蹴りを貰うやら、パンチを貰うやらで、身体は悲鳴を上げる一歩手前になります。その時に、ここで逃げだした場合、負けることになるし、相手の技をもらうとうという、危険極まりない状況になるのです。ところが、このような危険が身に迫っている状況で、勇気を出して一歩前に出ると、危険は半分に減ってしまうのです。このような組手で学ぶことは、決して逃げ出してはならないとい事だったのです。
 ところで、こうして人生を歩んで、今私は、私の抱いていた理想像に到達しているだろうかと考えてしまうのです。反省してみると、失敗や、甚だしい大失敗が多いのです。満足な結果を出しているとは言えないのです。この歳になるまで、相当な人が下積みから這い上がって成功を見届けてきました。この下積みなしには、何もできないという事も考えているのです。私の下積みは、放浪の旅であり、物品販売であり、道場で汗を掻きながら稽古に励むことでした。その時は、上しか見なかったのです。そして、「自分にできる」という信念だけが気持ちを貫いたのでした。当然大山総裁が私の理想であったことは間違いない事なのです。精神的には、大山総裁出なかったことを、ここで告白しておかなければならないのです。その人物は、釈迦であり、キリストであり、孔子孟子であったのです。しかし、実際道場での稽古では、大山総裁を目指したのです。
 結果として、大山総裁を仰ぎ見ながら、思い切って事に当たったのでした。そうでなければ、今の立場は何もなかったのだと思うのです。大山総裁が師であったがゆえに、本当に大山総裁に成りきって、稽古に励んだのだと思うのです。理想がはっきりしていましたので、元気がでました。生意気にも、私としても総裁ぐらいの力量は努力すればなれると思ったのでした。ところが、試合に負けた時には失望落胆なのです。私に勝った選手にも何れは、勝てるという信念を持ったのでした。実際は、何れ私が勝てたのではく、相手が、自然に極真の道を離れていっただけのことでした。そして最後まで残ったのが、私であるのです。それが、今の誇りであり、自信なのです。