2012年2月12日(八段語録1590)

言葉


 私は、ピリッとワサビの聞いたような言葉を求めているようです。普通の日常会話で物足らなくなっているのです。刺激が無い言葉づかいには飽きてしまっているようです。鋭い言葉や巧みな比喩、人生論的言葉に引付けられているのです。このような言葉を追い求めているゆえに、しばしば思いがけない所でこのような言葉が飛び出すようです。特に会合の宴会などでは、オンパレードとなります。宴会でのあらゆる状況の中で飛び出します。同席している人の下ネタまでも夫婦の神聖な愛情関係に話を持って行ってしまいます。
 どんな環境でも、会話が高尚なレベルまで高まります。そして、実生活の中であった話などするのです。もちろん、口癖はあるし、日常会話はなるべく土臭い言葉づかいの中に入り込もうとします。それは、同じ会合の仲間と遊離しないためなのだと思うのです。私の話し方は、地域なまりの典型的なようです。飾り気のない、気取らない言葉づかいをしているようです。ちょっと毒舌気味の時もあります。それでも、要所を、威厳があらねばならない時に使うのです。そして真理であると思われる言葉のオンパレードに移るわけです。
 ところで、私が協調して話そうとすることは、第一に、力強く、いつまでも変わることなく、人生を元気でいく事を話しているようです。第二に、武道精神に則って礼儀正しく、家族をベースに、人間同士愛情を持って付き合っていこうと話しているようです。第三に、失敗や敗北、そして苦難を恐れない勇気ある頑張りを強調しているようです。第四に、空手道の楽しさを満喫しているという事が主な内容にしているのです。
 そして、一番相手に感じさせたい核心部分は、かなり楽観主義のような雰囲気なのですが私の生き様なのです。余りそのような話をすると歓迎されないことは分かっているのですが、それでも口先だけでなく、実際の生活であるので話すのです。そして、魂から発する叫びとして影響を与えようとしているのです。
 私は、「家族、対話、自然」を理念として、信念、愛、そして勇気が必要であると思うようになっているのです。これからも、このような言葉を追いかけることだと思います。そして実践していく事が自分の姿になりそうです。振り返れば本格的に言葉を追求し始めたのは、高校生の頃でした。当時はやった歌声喫茶で、歌っていた歌詞に心ひかれました。その歌詞が心に残ったのでした。それに味をしめて、私が発する言葉が、周りの人に良い影響と、感化を与えていく事を願ったのでした。そのような結果がこのような生き方をするような羽目になったのかと思うのです。