2012年2月6日(八段語録1584)

同期の桜


 今の自分はどこから来たのかという命題をぶつけてみる機会に恵まれました。というのも、埼玉のある村で、一緒に過ごした人と偶然にも出会ったのです。月日が経つのは早いもので、三十数年の歳月が流れてしまっていました。お互い経営者として頑張っているのです。そして、過去に、私達が持っていた心的態度が、今すべて総和として表現されているのです。私達以外にも多くの人が、一旦理想に燃えて頑張っていましたが、途中で挫折する人も多かったのです。つまり元極真メンバーということになります。
 仙台に何拍かするというので、今まで、歩んできたことを、根白石の別荘で語り明かしました。夜通し話している内に、良かった歩み、足らなかった歩みが整理されてきました。今の極真空手道というミッションを継続する中で、修正しなければならない点が明確にされました。ちょっと話して見て、意気消沈する事もありましたが、過ぎ去ったことだけに、ことさら整理がつきやすかったのです。これからの心構えがどうあるべきかという、はっきりした指標が出来たことも収穫でした。
 私の人生は、素晴らしい家族に恵まれました。それも自分が想像してきた色彩に彩られてきたのです。自分が好きな色を選び、塗ってきたのです。結局私の選択は、素晴らしかったと思えるし、極真空手という武道に誇りを持つのです。極真空手というベースを中心に修業は、最高の思い出に残りました。そのような意味では、一日たりとも仕事をして来た人生ではないのです。何をやっても、反省と努力の積み重ねでした。肉体の鍛錬に始まり、心の強化をして来たわけです。若き日の私は、自分を磨く事に精一杯歩んできました。良い環境として選んだのが、極真会館でしたので、人生ラッキーと思えるのです。
 極真会館での、訓練は良い結果を人生に良い結果をもたらしたことは間違いないのです。武道ですから、上手に修業をして来たのです。そして良い想像力を発揮して本当に幸せな日々を送ってきたのでした。何故ならば、自分の極真会館に対するイメージは、地上最強を目指すという事だったのです。そして真面目にそのような体験を味わう事が出来たのです。やがて、そのような地上最強の人間性を身に付けるに至ったのでした。決してチャンピオンになって、傲慢な姿勢を持つ事はなかったのです。
 ところで、同期の桜というべき人との出会いは、数十年を飛び越えるものです。そして過去を想像するたびに、頭の中で映像が去来するのです。自分の人生を作品とするならば、とてつもない作品に仕上がっていると思えてならないのです。もちろん、彼との出会いで、人生を意義あるものと感じることが出来ました。彼もがんばっているのです。それが、別荘での会話でよくわかりました。一睡もせずに今日は出発ですが、身体は軽いのです。そして、まだ見ぬ今日の出会いに、わくわくさせながら、出発です。