2012年2月5日(八段語録1583)

東日本大震災の復旧・復興への関心


 県外から東北の被災の様子を知って、何かお手伝いしたいという人達が、三十数名観光バスで来仙してくださいました。泉のホテルルートインに宿泊しているというので、朝七時半合流しました。早速バスに乗り込んで、ガイド役を私が勤めることになりました。
八時過ぎには、バスで全てを津波で跡形もなくなってしまった漁港である閖上港に向かいました。三陸道の名取の高速道路の出口を下りたところから、ボートが田圃の中に横たわっているのです。海辺に近づくにつれて、土台しか残っていない宅地になっていってます。漁港は、当然無いのです。岸壁らしい所が海に面してあるだけです。鉄筋コンクリート造りの建物は、残っているのですが、木造住宅を初め、あらゆる建物は無いのです。この現状ですから、多くの人が犠牲になったことは伺い知ることができるのです。
 次に、私の震災の時の消防団活動の現場になった蒲生地区に移動しました。中野小学校の近くにバスを止めたのです。小学校にたどり着けた人は助かることが出来た事と、途中まで来てたどり着くことが出来なかった人は、津波に呑まれてしまった事を説明したのです。乗客の人は思わず涙を流していました。その後日和山に向かったのです。無くなった周りの景色の中で、犠牲になった多くの人の為に黙祷を捧げ、冥福を祈ったのでした。
 その後、フォレスト仙台の会場で、今野県会議員を会長とするセミナーが持たれました。東日本の大震災での、生々しい証や、これからの復興に関しての講演会が始まりました。とても意義あるセミナーでした。私もこの東日本大震災の復興に、少しでも貢献できればという思いになっていました。この大震災を通して、何ができるのかを整理するのです。貢献するには、それなりの決意が必要なのですが、どれだけの公的意識が自分にあるのかと問い続けることにもなるのです。
 夕方からは、宮城県知事の震災復興の講演と今野県会議員の祝勝会を兼ねて新年会に参加してきました。宮城を復旧・復興させていくプログラムを知事から直接講義を受ける中で、県民として、これからどのように、地域貢献していかなければならないかという事を考えさせられたのでした。当然、理にかなった事をしていけばいいと思っています。全ての事を地域の人々の為と自然と神の栄光の為に楽しく喜んで歩もうと思うのでした。
 今日は色々な事がありすぎました。私の心を静かにして、注意力が散漫にならないようにしなければならないと思うのです。そうしないと、これからの地域社会に対する貢献の糸口が掴めなくなると思うのです。自分であらゆるアイデアを浮かべるのです。東日本の復旧・復興をしていく為の、拠点を作って、多くの人とスクラムを組んで取り組んで行きたいと思う一日でした。