2012年1月22日(八段語録1569)

旧暦の大晦日


 岡山から津高さんを仙台に迎えたのです。午後三時過ぎの新幹線で到着しました。今回息子さんも一緒という事でしたが、最終的には、津高さん一人という事になりました。もう既に二十数年の歳月が流れているのですが、時間が過ぎたことに、お互いお構いなしです。若かりし頃の、懐かしい気持ちが湧いてきました。早速仙台駅から我が家に向かいました。わが家では、妻が首を長くして待ってくれていました。
 家についてからは、昔の話に花が咲きます。聖義が小さい時のことを覚えてくれていたり、順香のことを話してくれたり、二十年近い期間が一瞬に戻っていくのです。いろいろなことがあったのでしょう。本当に苦労してきたようです。今は、食堂を経営しているのですが,空手の志を忘れたわけではないのです。その気持ちがあったからこそ、仙台で再会するという事になったのです。妻も嬉しそうに話していました。
 ところで、今日は旧暦の大晦日なのです。一年の集大成をするような気持にもなります。心の整理もしているのです。より良い年を迎えるためにも、あらゆる心の問題点を浮き彫りにしているのです。私に渦巻いた嫉妬、怨念、恐怖、疑惑、貪欲、憤慨などの、悪しき心を除去する気持ちを持つようにしているのです。新しい年にふさわしい心を充実させようとしているのです。
 そのような意味では、感情を好ましい状態にしようとしているのです。言葉の使い方を反省するかのように、明るく肯定的な言葉を使うように心がけようとしているのです。なぜならば、去年痛感したことに、私が出すもので、何であれ、私に跳ね返ってくるからなのです。振り返れば、私は他人に傷つけられたことは、ほとんどなくなっているのです。誰も、今まで歩んできたことに対する意見を述べようなどとはしないのです。しかし、そのような中でも本心はあるようです。
 つまり、唯一誰が指摘しなくても、私を傷つけるものは、私の心と精神であると思うようになっているのです。もちろん、このことに目を逸らしたくなるのです。傷つく原因を外に求めたがる私なのです。しかし、すべては私自身の問題であると結論つけてしまうのです。またそれが正しいのです。旧暦ではありますが、来年は、不本意な人生を送るまいと心に誓うのです。
 それにしても、津高さんと夜まで話すことができました。これから未来が広がっているという確信を持つのです。一週間で何を指導できるのかわかりませんが、できる限りの内容を指導したいと思うのでした。