2012年1月19日(八段語録1566)

能力の自己評価


 スタッフの能力を低く見積もってはならないと感じるのです。今現れているスタッフの能力の動きは、氷山の一角であることが殆どなのです。今の組織を菅野師範に全てを委ねています。そうすると、本人の能力以上の偉業を行っているのです。そして成果を上げていっているのです。宮城県本部の事はもちろんのこと、全国に対しても、あらゆる努力をしようとしているのです。私は、自分のスタッフだから、能力ある人に私から、特別に責任を振っていこうとはしないのです。必ず、菅野師範の指示に、全て委ねるのです。氷も一点から固まっていきます。同じように、立てられた責任者にスタッフが、ついていかないのであるならば、いかに私に信頼を寄せても、組織的な動きはできないし発展もないのです。もちろんどんな人も持っている能力は絶大です。多くの人のアイデアは、大きく実現させようとするのですが、中心として柱を立てなければ、何ともならないのです。
 宮城県本部に集っている多くの黒帯達は、素晴らしい才能に恵まれているのです。しかし、その才能は一人ひとり顔つきが異なるように、資質にも違いがあるのです。だから、その才能を、特別に個別に用いると、比較するようになるので、争いの元になるのです。ところが、今まで従って、生死を共にしてくれた人物を中心に組織的な動きをし始めると、才能が中心の元に融合していくようになるので、争う事が少なくなるのです。人はそれぞれ違った才能を持っているのです。一人として同じものはないのです。それだから、他人と比較するような構造は、組織を無意味にするのです。もっとも、私は、才能に恵まれた人と特別に使おうとする気持ちになることもあるのです。確かに楽ですし、自分の分身のように思えるのです。しかし、その代償として、他の黒帯達は、客観的になり人並み以下という場合になるのです。そして力を発揮するどころか、適当にやっていたらよいのではないかという感覚に陥っていくのです。
 ところで、多くの指導者の才能を並べて比較することは可能ですが、人間には無数の才能があるので、その全体を比べさせてはならないのです。ラクダが針の穴を通るように難しいのが、柱を立てて、その柱を中心として組織全体が動くことなのです。その動ききれない事があった場合、糊代のように、陰ながら、接着材の役割をするのが、私であるということになるのです。これから、菅野師範を中心として動きますから、インスピレーションや新しいアイデア、驚くべき発明や発見が、柱を中心として起こってくるのだと確信しているのです。
 このブログも、結局は、中心者である菅野師範に向けてのメッセージという側面が大きいのです。それによって、これからの方針や方向性をキャッチして、私の願望を印象付けていく事も可能であると思うのです。私は、人に騙されることは何とも思わなくなっているのです。騙され続けてきたからです。ただ、自分自身に嘘をつきたくないのです。自分を知るために、自己観察を行ってきたのです。そこに私の本質があると思っているのです。