2012年1月18日(八段語録1565)

東日本大震災からの復興


 昨年の一年を振り返っても、大変な期間を過ぎてきたという実感をするのです。地震と津波だけに、誰にやつ当たるという事も出来ず、その震災の意味を悟らなければならいのが私という事なのだと思うのです。震災以降の人々の気持ちは、大分変ってきているのです。周りでは、絆をテーマにしたイベントが多くなってきました。家族愛を中心に、考えるようになっているのです。
 東日本大震災は、私に変化を与えてくれたのです。東日本海岸線での多くの犠牲は、何故、このような惨いことを神は起こすに至ったのかを考えるのです。震災の最中、消防団活動を中心に、乗り越えてきましたが、最後に、親父が亡くなるなど、様々な犠牲がありました。神にまで敵にするつもりはありませんが、心は折れたのです。その為に、絶えず自分をどのように治めるかを訓練させられました。今でこそ平気でいますが、当時は、心に恨みを抱くようになっていた自分があるのです。
 ところで、どのような訓練を受けたのかという事を分析すると、心に余裕を持つ訓練が一つにあったのです。私にはまさに、そのような心を持つために訓練をさせられたのです。当時は、涙を流すことが多かったのです。普段はそんなに涙を流さないのですが、この悲惨な現状に涙を流すことだけが、心が晴れることだったように思うのです。十月に父親を亡くした時には、ピークでした。すぐにロシアに行きましたが、心は親父の死でいっぱいでした。その後母とハワイに心の開放を求めていったのでした。それでも、傷は癒されるものではなかったのです。今、平気に思えるのは、悲惨さからの脱却で、心に余裕を持つように意識しているからであると思うのです。
 東日本大震災そのものが、私を傷つけたかと考えると、確かに悲惨な状況を目の当たりにしましたので、気持ちは痛んだのです。それでも、本当に傷ついたのは親父の死であったのです。その事が自分を傷つけたようにも思うし、もっと親孝行しておきたかったという気持ちで、後悔してしまう事が大きかったのです。親父の死から立ち直るのに、相当なエネルギーがいるのでした。
 話は変わって、朝の十時、仙台駅で佐藤ご夫妻をお迎えしました。パラグアイでポート工場を作って運営している方です。日本にボートを輸出して、この大震災の救済を心掛けている社長です。私は、ボートと言っても、釣りの趣味しかありませんので、本格的な大志があるのではないのです。社長の漁業を通じての東日本の復興を推し進めていこうとする心には、打たれるものがあります。そのような人を迎えての一日でしたので、震災について考えさせられたのでした。この御夫妻を迎えて、余計に大震災の事が脳裏から離れなくなっていたようです。