2012年1月17日(八段語録1564)

鍛錬すべき良心


 結論から言うと、自分が否定して良い存在は、自分以外に誰もいないと思うのです。もちろん、政治家や、役人や上司、同僚、家族とあらゆる他人に要求しようとする自分があるのですが、それは間違いであると気づき始めている昨今です。平たく言うならば、自信がない時ほど、人のせいにするのです。自分という人生を歩んで、自分を支配し、全ての責任は自分にあるのだからという方が、よほど男らしいのです。周り人をどうのこうのと責めること自体見当違いなのです。
 副会長としての立場を頂いてからの活動も一年が過ぎました。外堀を埋め、内堀に至るまで戦いを進めてきました。その中でも東日本大震災があったり、親戚に不幸があったり、親父が亡くなったりと、目まぐるしく変化しました。その中でも、こうして存在させていただけるのは、男として自信を持っているからだと思うのです。もちろん、自分の欠点や劣等感をいつも感じているわけです。そんな気持ちに振り回されたならば、小さくなってしまうのです。そんなことでは、このグループの発展はないであろうし、家庭円満も地域社会に貢献することも不可能になってしまうのです。
 ところで、私は、幸せな事に二十代・三十代と、組織を運営して、あらゆる経験をさせて頂いたのです。その歩みはというならば、自信に満ち溢れていました。そして、結婚をすることができ、子供も授かり、かけがえのない友人にも恵まれて、失敗とは無縁の世界で生きてきたことになるのです。その自信が、今の自分を支えているのです。更に、これからの道筋で、やらなければならない方向性が青写真のように映し出されるのです。
 私の取り巻く素晴らし、良き人材は、創造的中枢人材として私を囲んでいるのです。そして私の組織を、私の代わりに統率しているのです。その指導者に対して、敬意を払いつつ、愛と奉仕と理解をさせていただきながら、喜びを感じているのです。そして、その人たちを全面的に信頼する事によって、多くを得ていることができているのです。全ては、今までの絆から、始まっているのです。そのような組織ですから、客観的に批評家になる人はいないのです。積極的に自ら責任として支えようとしてくれるのです。その歩み方は、同好会的な曖昧さはないのです。その代り、全面的に信頼を寄せているのです。
 この組織には、ボスはいないのです。アルカポネのように絶対支配者はいないのです。兄であり弟であるという関係から、生じることが本質なのです。あるとしたら、私の心を占めている良心であり、精神的態度が私の本当のボスなのです。良心が私の主人であり、私の態度を決定するのです。私が指導者を全面的に信頼するがゆえに、調和してくれるのであり、成功と繁栄の実績で心を満たしてくれるのです。私は、私の心の内にある最良の良心のボスの下に従う事になるのです。やがてそれが、グループ全体の調和の雰囲気になってくると確信しているのです。