本部長通信156 2008年4月19日
人生転換(4)
道場は絶えず師範を迎えることができる状態を指導者は意識しなければならないと思うのです。道場と関係をもった人たちには、特別な気持ちで接しています。なぜなら、師範は極真会館宮城県本部道場の責任者なのです。道場と師範の理念が一つになって運営されている道場は、原則的に師範の考えが隅々まで行き渡っていると思っているのです。
今の道場生を引っ張っていかなければならないのです。道場運営に対して師範の理念が相対し、すべての道場生が一つになった場合行くべき方向が見えてくるのです。絶えず、師範を迎えることができる状態をつくっていなかった場合は、道場の雰囲気とか気持ちが良いものではないのです。
何故師範が必要なのかというと、極真空手の原点に再び立ち返ってその影響を十分受けていくためなのです。師範に立ち返る目的は何かというと、すべては極真の伝統から外れないためなのです。師範と分断して指導していく場合には極真空手となんら関係なくなっていくのです。かつてのある指導者が悪魔の放った罠に陥ってしまいました。
指導者が、問題になるのは自分なりの指導なのです。これは極真の伝統とまるっきり違った形になってしまいます。師範は指導者と相談した結果の指導は認めるのですが、自分なりの勝手な指導は認めないのです。
そこで問われるのは師範の人格そのものなのです。他の道場と違うところは、師範が道場の親になっているかということです。さらに、師範と指導者間の意思疎通は信頼あふれた相互関係になっているかどうであります。信頼あふれる責任者同士の関係であるならば、どんな指導しても師範は認めてしまうのです。信頼関係を中心とする道場運営の戦闘基準が始まるのです。だから組織が大きくなればなるほど、根っこである師範の人格の戦いは激しさを増すのです。お互い信頼し合っているという基準が残った場合には発展がはじまるのです。
師範稽古 突き40分 国見教室