2012年1月7日(八段語録1554)
思考の転換
もともと楽天的な私ですが、これから訪れる様々な試練を、心に愛と善意を満たすことで解き放たれようと思うのです。一日中考え込んでしまうのですが、ノイローゼにならない程度と思っております。理由は、神経質に考え込んでしまう人ほど、癌の確立が高くなると言われているからです。不安や・心配がしばしば現実化してしまう事を考えると、精神状態を不安定にさせることが、病気を望んでいる事と、等しくなるように思えてくるのです。
ところで、今まで自分が落ち込んでいるような時は、ほとんど気まぐれからの、長年慣れ親しんだ言い訳がましい否定的な見解が多いのです。この発想を置き換える努力が、今年かなということなのです。人を疑い否定的に発想するという事を、決してしないという自分の信念を貫くことができるかという課題を突き付けているのです。どんな人にも転換期が訪れます。私の場合、去年の親父の葬儀が一つの転換期であったようです。日頃から肯定的な姿勢で臨んでいないと、深く落ち込んでしまいます。そうすれば、ジレンマの中で日々を過ごすという事になってしまうのです。
人生五十八年振り返っても山あり谷ありです。よくも悪くも同じ状況が永遠に続くわけではないのです。季節が移り変わるように、私の人生も移り変わっていくのです。つまり無限に変化していく事を前提にしなければならないという事なのです。ところが、今が良くない状態であると、私は、「この状態がずっと続くのではないか」「もっと悪くなるのではないか」といった考え方に陥りやすいのです。このような考え方に慣れ親しんでいると良い変化が訪れた時に、見逃してしまうのです。希望を持って良い変化の来るのを待つ心構えが必要なのです。
今日は根白石の畑に来ています。農地を見守るだけなのですが、それでも日差しを浴びながら、散策し、役所に提出する書類の作成をしているのです。今回の東日本大震災における家族と建物の状況の再整理です。そのようにしながら、親父の死を納得させているのです。人間の生き方は、その人のビジョンに従います。良いビジョンは良い習慣から生まれるからなのです。決して絶望しないぞという事を私は、心に決めているようです。
もちろん、絶望するに値する事態が起こったとしても、それは、起こったことだけの意識ととらえようと心に留めているのです。それをどのように処理するかは、私の能力にかかっている事であると自覚しようとしているのです。