2012年1月1日(八段語録1548)
親父の死の回想(4)
今年の元旦は、親父の死に対して喪に服する状態なのです。親父の死の痛みは、心を裂きます。例えあの世があろうとも心の痛みは消えないものです。震災以降の親父が病気を発病してから、最後の入院は、五十四日間も、断食状態で過ごさなければならなかった事に、苦痛を与えてしまった申しわけなく思うのです。今日も、人間味が漂う、親父の死に首を突っ込んでしまいました。もしも、同情することなく、ポーカーフェイスで対処すべきであると考えようとするとしたならば、それは絶対に考えられない心の姿なのです。
年始であっても、過去を思い出してしまいます。いつも、老人ホームへ親父を迎えに行ったのですが、純粋な心が親父の人間性として感じられるのです。少し、斑ボケあるのですが、多くの人の愛情のみを受けて、あらゆる人間の醜さを拒絶してしまう姿勢なのです。ある意味で、私もこのような年齢の取り方をしたいと思うのです。
八月末、会議が終わり保護観察所を後にして、親父を迎えに行こうとしたのでした。ところが、親父に黄疸が現れて長命ヶ岡クリニックに入院するというのです。八四歳でもあり、肉体は弱っているので素早く、入院の手続きを取って、治療に専念という事になりました。船田医師が話すには、黄疸がどのような経路で出ているのかを調べるという事でした。
また、心を痛めることが続くのです。私の心にあるのは、親父を思う親孝行の気持ちなのです。育てられた愛情に裏付けられて持っている気持ちなのです。親父に育てられた最高のパワーなのです。病院で入院する親父を思うと最高度に心が痛むのです。親父が入院したという事をニュースのように感じることはできないのです。
三週間が過ぎて、検査の結果が出ているというので、お袋と長命ヶ丘クリニックに出かけてきました。黄疸が、膵臓から発病しているという事なのです。私が十日の断食をしたことがあるのですが、親父は今も点滴を打つだけで、三週間の断食という事になってしまったのです。一週間後に、長命ヶ岡クリニックに親父の様子を見に行きました。ちょっと高熱が出ていて、酸素吸入器をつけていました。お袋が元気なく、いつあの世に行っても良いように準備だけはしなさいと話すくらい、様子が大変でした。もし、元気になっても、胃に穴を開けて、栄養を取るという事になりそうです。介護が重要な年代に突入したことになります。
その足で、田圃を見渡しにいきました。数日で稲刈りです。黄金色に色づいた稲穂を見ながら、考え深く、収穫前にちょっと気持ちが充実します。稲刈りの日程を決めて、家路に着きました。親父の入院生活も50日を過ぎようとしています。今回の入院は長期に渡っているのです。熱が40度の高温が続いています。酸素マスクをして、荒い呼吸をしているのです。親父の回復を待つばかりです。
医師の船田先生との面談をさせてもらったとき、血液に細菌があれば肺血腫の疑いがあるという事した。この場合には、急に死に至るという事もあるという事です。
しかし、希望的な観測も聞かせてもらいました。というのも、親父が、元気すぎてベッドから降りてしまう様子だったのです。医師が詳しく調べてみたら、点滴を打っていたところを、触って何度も外していたので、膿んで細菌が入って、それで熱が出ているという事でした。その事が原因ならば、熱が下がって平常に戻るという診断でした。それにしても、心配なので、弟二人に電話して、もしもの時には、覚悟しなければならないと話しておきました。