2011年12月28日(八段語録1544)

積極的人生観(117)
 仕事納め

 年末で慌ただしくなってきました。今日は母と、自分たちの為に区役所に向かいました。自分たちの為にも、活用することも必要であると思ったからです。震災の義援金の手続きと、親父が震災以降亡くなったので、その為の手続きという事です。さらに気が付けば、家屋が半壊なので、修理が数百万はかかるという事で、役所での半壊に対する書類の作成と借入の申し込みをしてきました。借り入れは十三年間無利子で、六年は据え置きで対応してくれるという事で有難く感謝するのです。全国の義援金と国の政策が初めて森家に連結された日です。もちろん、義援金に対しては、ご存じのとおり、どのように使われているのか分からないという報道がなされていました。実際、現実に困っている人に対する救済が出来ているかというならば、周りで聞く限り、不十分であることはいがめないのです。しかし、このような形で最終的に支援されようとすることに、感謝しかないのです。
 午後からは、母とトレーニングです。私は、基本の練習に力を注ぎました。母は、歩行が楽になったと言って、プールでウォーキングに夢中です。親孝行ができるのも今だけと思って、午後はいつも母と一緒のトレーニングをしているのです。この数年は、父を特別養護老人ホームの送り迎えに明け暮れていました。父が亡くなった今は、母と過ごす時間を大切にしているのです。母の行動を見ると、一生懸命なのです。一時間二本、プールで歩きます。それも黙々となのです。この性格が私に乗り移っているのだという実感をさせられました。とにかく貫こうとするのです。
 ところで、現代社会人を見ると、人の心と身体は密接に関連していると思うのです。それで、健康という事を考えると、心身の両方に気を配らなければならないと思えて仕方がありません。肉体的健康だけ、あるいは精神的健康だけを考えるのは間違っているようです。これだけ、医学が進んでいても、病人の数が減るどころか、増加しているのが現実です。今まで、現代医学はどちらかというならば肉体的健康に目を向けてきたのです。しかし、昔から言われている格言は、「病は気から」という事なのです。最近多い病気は、精神的な心療内科の方なのです。つまり、精神的な病気が肉体に現れてきているという事なのです。
 そこで極論ですが、身体は「心構え」一つで良くも悪くも大きく左右されてしまいます。悪い「心構え」の時には、不調をきたすようです。良い「心構え」の時は、少しぐらいの無理も平気で活力に満ち溢れてしまいます。今日はここを主張したいのです。空手道で心身を鍛錬し、「心構え」を良くするとするならば、病気に対する回復力や、治癒力を発揮させるのです。そして、「心構え」を良くすることを信じることなのです。はっきりしている事に、動物は医者や薬を持ちません。それでもちゃんと生きているのです。理由は、普遍的な回復力がこの地上にはあるのです。空手道の確実さはここにも表れてきているのです。まさに「心構え」を養うという事なのです。
 すでに私の言いたいことを、察していると思うのですが、健康もまた調和なのです。私達が生命の調和、平和の心の調和がなされるとするならば、健康を損なうはずはないのです。不治の病などあるはずはないのです。あるのは治らないと信じきっている人達を、回復させるのが困難なだけなのです。ある人も、足が不自由になってきていることに対して、絶望などしていないのです。治ると信じて入院を来年初めにするのです。治るとして耐え、努力すれば奇跡は必ず起こるのです。当然暗示の力は強烈です。肯定的に受け入れることが偉大な力を引き起こすと思うのです。