2011年12月25日(八段語録1541)

積極的人生観(114)
 保護司として

 多くの更生保護の仕事で、刑務所や少年院に送られた人々に触れあってきました。その人たちが残酷な運命のせいであるかというならば、決してそのような事ではないのです。更生施設に強制的に入れられた理由は、その人の中に潜んでいる悪意に満ちた犯罪的思考のせいなのです。安易な事で、良心の叫びを押し殺して、悪意を強いてしまった時に、思考が行動に表れたのです。
 そして、強制施設の中では、反省と悔い改めが始まるわけなのです。まるで泥水の入った餅の中に潜んでいた水を一滴ずつ取り除き続けて、やがて餅の中は、きれいになるように魂の浄化するごときなのです。社会に復帰するために、精神が経験や境遇、そして様々な出来事から正しい精神生活ができるようになるための歩みの訓練が始まるわけなのです。結果として。更生し心の平安を取り戻すための役割が強制施設であるのです。
 ところで、私は保護司として強制施設を終えた、何人かの人を社会復帰できるように導こうとしているのです。その立場に悩み葛藤もするのです。私はいつも、会って面接する以前に、その人の為に祈るところから入るのです。直接会って五感で感じる犯罪性を含む否定的な印象は、全部改善するという、強い気持ちで着手するわけです。しかし、どう見ても、社会復帰できるような人ではないと判断する場合もあるのです。その時に「どうしてよいかわからなくなる」というような心が広がっても来るのです。このような時に、額面通りに受け取らない戦いが始まるわけなのです。もしその作業を私の心でしていなければ、混乱が生じてしまうのです。保護司としての戦いの本質は、このような心から始まると言って過言ではないのです。
 ところで、保護観察期間に対応する私の心はどのようにしなければならないかという事です。つまり、今後再犯という、間違いをしないようにするために、どのような気持で接していくかという事なのです。外的には仕事や生活の面で相談に乗りながら、社会参加へと導くのです。形だけの接点では役割を果たすことはできないのです。そして内的な心境なのですが、真の意味において悪い人間はいないという前提に立つのです。保護観察期間、対象者の願いを受け止め、抑圧するようなことは決して許されないのです。そのような意味で、高圧的な態度など許されるはずはないのです。
 今も、保護司活動を続けているのですが、対象者の本心に訴え続けながら、良心ならば必ずや答えてくれるはずであるという確信を持って対応しているのです。これが、外的に課題を抱えている対象者への思いやりであり、あらゆる攻撃や環境の変化を乗り切りさせていく為の私の努力の始まりなのです。この世に天国も地獄もどこかよそにあるわけではないのです。人が毎日考えていることによって、今ここに天国も地獄も作り出すのです。 私は、対象者に現実から逃避することがないように、幸福の青い鳥を身近な所から見出してもらいようにしているのです。その為に今日も祈りは続くのです。