2011年12月19日(八段語録1535)

積極的人生観(108)
 利他主義を貫いて

 今年は、12月から寒いという実感です。ハワイから帰ってきたという事もありますが、実に寒いのです。それでも、今年の震災以降、やるべきことは、全てやり抜いてきているという、気持ちではありますが、最後の一押しというところが今なのです。極真会館の中では、全国に支部を展開するという象徴的な歩みをしてきました。沖縄まで入れると、十三支部の誕生を見たわけです。さらに、市議会議員選挙、県議会選挙と選対本部長を務めて、二連勝することができました。そのような意味では、願いが叶ったような気持ちになります。
 だからと言って、直接金銭的な利益になるとか、便宜を図ってもらうとかという事ではないのです。ただ利他主義の実践を試みたわけなのです。極真会館の動きは、手塚会長の為であり、道場生の為なのです。選挙は、議員の為であり、地域住民の為なのです。そのような意味では、外堀を埋めてからの人生の戦いをしているようなものです。傍から見たならば、自分の為には何もやっていないという事なのです。その為にあらゆる労力を費やしてきたのです。それが、自分の生きがいとなっていたのでした。当然資格試験を受けるという事は全くないのです。私の資格はすべて、他の人から与えられたものなのです。自分が欲しいと願って取得した資格は、学位と運転免許証ぐらいなのです。
 このような行動は、自分にとって重要な価値あることなのです。それは、今までの人生で一環としている事なのです。まずは他人の為に何かできないかという事を考えるという原則なのです。それを貫き続けることができているという事は、幸せな事だと思うのです。人の為に費やす人生であるからこそ、人生を捧げているという気持ちにもなります。これが習慣化されているので、生活の中に不思議なほど良いことが起こるのです。
 強いて言うならば、そのような生き方のために、妻に支えられ、家族に支えられ、会長に支えられ、道場生に支えられ、地域住民の支えられているようです。この考えは、捨て身の生き方なのかもしれないのです。そして、この考え方が全て今までの人生を支配してきました。私がこのような事を思っているので、このような事であらゆる現象が起きてきたのです。
 私は、あえて、このような生き方を選択したのです。その生き方を選択できる唯一の人が自分であるという確信を持って歩んできたのです。どのような生き方でも選択するのは私であるという事は間違いないのです。もちろん、この生き方で多くの障害があったこともありました。誰も、そのような信念を持って歩んでいるとは思わないのです。それ故に、何か、お節介を受けるような気がした人も多かったのではないかと思うのです。それで変な誤解を生じたこともあったのです。何か強制されるような思いもそのような背景からあったのです。
 この生き方の原点は、十六歳の若かりし頃に芽生えました。社会の為に何かできないかという気持ちが、自分を駆り立てた訳なのです。この生き方の為に家出もしたのです。家庭を破壊するつもりはないのでしたが、自己との戦いを始めたわけです。最初は心配が心を過りました。この生き方が好ましいのかと自問自答したものです。そして今の自分を責めるよりは、むしろ肯定することが効果的であると確信したのです。肯定したうえで習性を加えてきたという人生なのです。