2011年12月18日(八段語録1534)

積極的人生観(107)
 地域のクリスマス会

 今日も朝日が眩しく輝いています。空は晴天という状況なのですが、一歩外に出ると零下の寒さです。窓越しに見る山々の景色は、冬化粧をしていて、美しいのです。寒さを堪えて、庭の手入れをわずかな時間、携わって、出発です。日曜でも、年末は忙しいようです。
 一週間も早いのですが、地域のクリスマス会に家族で参加してきました。息子の聖義は国家試験の模擬試験という事で参加はできなかったのですが、私達夫婦と長女、次女、聖義の嫁さん茂奈さんと出かけたのです。
 私達のお目当てのメインは次女の文誉のピアノの演奏付の歌でした。二曲続けて、感動的に歌い上げていました。それを長女がビデオに収録しているのです。昼食は、手作りの食事を、地域の人達が持ち寄っていました。ダントツに子供達が多いのです。可愛らしい雀踊りや合唱、クリスマスの劇と様々工夫を凝らして、舞台ひろしと元気に演技していました。終わるとみんな、サンタクロースよりクリスマスプレゼントを貰っていました。
 その後、母親を親戚に連れて行って、私は、大掃除に力を注ぐのです。一年の「煤払い」なので、庭から、窓、床、台所、トイレ、玄関、出来る限り丁寧に掃除をしてきました。大掃除は、家だけではなく、自分の心にも及んでいるようです。激動の一年でしたので、煤も十分溜まっているのです。
 掃除をしていると、心が純粋になるようです。習慣的に曖昧にしていることが洗い出されます。いい加減に扱ってきた事への反省をしているのです。掃除の行為をしていないと、認めたくないという思いになるのですが、掃除という行為が自分を謙虚にさせます。認めたくない自分の癖を、合理化とか正当化という事をしなくなるのです。真実に向き合うという事になるのです。この一年という重要な事を振り返る時に、大掃除は、瞑想の領域に到達させてくれるのです。
 もちろん、私の場合の瞑想は、出来る限りマイナス的発想をしないようにという事を心掛けます。道場生の中に多いのですが、反省というと、マイナス発想になるケースが多いのです。それを、悔い改めるというケースを多く見かけます。ちょうど映画に出てくるシーンのように、神父の前で告白して許しを請うような内容なのです。一時的にはすっきりするようですが、また同じ過ちを繰り返していることが多いようです。
 私の場合、マイナス的発想をすること自体、悪い習慣という事に位置づけます。例えば、もし、ギャンブル好きが治らずに、その事に葛藤して、自殺したとしましょう。反省して究極のマイナスを選択したことのように思うのです。自分も苦しんだのでしょうが、家族も苦しむ結果になるのです。そのような事になるよりは、家族の協力を得て、プラスの発想を心掛けて、少しでも良い方向を目指そうとするのが良いのではないかと思うのです。
 そのような事を考えながら、夕方からゆっくり時の流れに身を任せていました。年齢を重ねると、日々の時間の流れが、ゆっくりと感じられます。また、若い時と違って、急いで何かをするというよりは、落ち着いて、物事を運ぶようになってきているのです。