2011年12月15日(八段語録1531)

積極的人生観(104)
 タバコと酒

 納屋の大掃除です。10年分のゴミが蓄積していました。畑で焼却処分です。ゴミを運んでも、鈴なり状態に連なるように、回数を続けざまに運搬です。心機一転、気分を新たにして、来年を迎えようとするものですから、自然に気合が入ります。朝の七時から初めて、夕方の五時まで大掃除をしたことになります。まとまった時間が取れないので、やれる時に精一杯片づけをしようするのです。
 私が仙台の実家に帰って来てから、二十年の歳月が流れてしまいました。その時から親父と耕作に携わったのがこの場所なのです。ゴミの一つ一つに親父との思い出が残っていました。物を見ると、思い出が蘇ってきます。それでも、焼却を続けて、次の段階へ向かわなければならないと、自分に言い聞かせているのです。小春日和の日差しは、何度も納屋を往復するので汗ばむようになっていました。焼却場の炎に、何か願いを託しているのです。「親父がんばるから」という事なのです。
 今日も、道場生に説教なのです。その為に、このブログはあると思っています。四二年間、武道に携わってきました。柔道を六年間、それから空手道ですから、話したいことはいっぱいあるのです。主張することの一つに武道は、悪い習慣を克服するためにもあるのです。親父は、酒とタバコを手離すことができなかったのですが、私にとっては反面教師になったようです。特に一般部の道場生にはタバコはやめた方が良いと思うのです。稽古で息が続かなくなるばかりか、健康に良くないのです。そのようなタバコに対しては、嫌悪感を心に描くように意識すべきであると思うのです。稽古の妨げになるのであるという事が分かれば、否応なしに、その習慣から解放されると思うのです。
 さらに、アルコール中毒は良くありません。酒に依存するようになると、深い劣等感、敗北感、挫折感が付きまとうようになるのです。よく酒に駆り立てている理由は、何かを分析するのですが、結局は心の内にある絶望感が多いような気がします。もちろん、楽しんで嗜んでいるのならば良いのです。しかし、アルコール中毒の人を見ると、もう既に酒がその人の思考そのものになっているのです。飲酒を意識しない心のカメラを身に付け、ハードデスクの中に映像として残してしまえばこっちのものです。飲酒の習慣など無かったようになってしまうのです。
 この二つの事がらに関しては、自分が困らないようにしましょうという私の心配りです。私の主張は、上述したようなことが習慣になっている人にとっては対立するようなことです。しかし、それを乗り越えていったならば、新しい世界が広がっていくのではないかという気がします。