2011年12月13日(八段語録1529)

積極的人生観(102)
 良い習慣の勧め

 良い習慣を選ぶのも、悪い習慣を選ぶのもその人個人の自由なのです。ただ忘れてならないのは、習慣はどんなものであれ、一旦身に付くと意志では容易に変えられないという事です。何故ならば、そこに、生活そのものが関わってくるし、その人の心に抱いている大志が表面化するのです。確かに、悪い習慣は、意志の力で一時的に、変えることができるのですが、しかし、それはあくまでも一時的な事であって普遍性はないのです。その逆にいったん良い習慣を身に付けておけば、これからも容易な事では変わらないわけなのです。
 何を言いたいのかというと、空手の技は繰り返しによって形づくられていくものです。従って何よりも重要な事は、具体的に稽古に参加する事です。言うまでもなく、空手道を究めるという事は、短期間に達成されるのではないのです。それは、入門してから現在にかかって形成されたことなのです。親に言われたから空手を習っているという人もいれば、自分から進んで稽古に参加している人もいます。要するに様々な道場生がいるという事なのです。最初のきっかけは、道場生を見ると様々なのです。全ては、最初にある事は間違いないのですが、それが、指導者の教育を受けていく事によって、やがて、自発的なものになっていく事なのです。
 空手道を継続していく事の本質は、最初にきっかけと、それを教育する教育力、それに伴う、道場生の意思の持続と行動という事になるのです。何度も言うようですが、修行の中で克服すべきは、世俗的な価値観で、空手修行らしきことを行って、悪しき習慣の継続によって、我知らず、破壊への道へと追い込んでしまう歩みなのです。特に青年の道場生は、ふしだらな男女関係、タバコと酒には注意が必要です。その習慣性は、自分に対して否定的イメージを抱きやすいのです。改められなければ、プラスの要素が働きにくいのです。
 もう一歩掘り下げて一例を上げて考えてみましょう。オリンピック種目の柔道で金メダルを取った人物が、準強姦罪で逮捕されたことは、最近のニュースで知らされていることです。叙勲を受け、武道家として見本となる立場で、さらに大学の教授という肩書を貰って、教え子にみだらな行為を強要したのです。教育者としてあるまじき行為です。週刊誌の記事を読むと、前にも何人とも関係を持っていたというのです。彼は、家庭を持ち、子供までいるのです。その家庭の主たる人物が、未成年者に酒を飲ませ、酔わせて、介護するという事を前提に、吐いた言葉は、合意して事に及んだというのです。武道精神が何であるのかという事の答えが、これでは、途方に暮れてしまいます。彼は、社会的に立ち直ることは、悪しき習慣を克服しない限り、更生への道はないのです。また、男女同権のこの時代に許されることではないのです。
 もっと、恐ろしい事として、男女が一緒に練習する柔道は、立ち技もあれば、寝技もあるのです。どの技も、接触を基本としているのです。それも、肉体の接触は半端ではないのです。その柔道を教える先生と女子道場生の間、あるいは、道場生間と、何かが無いとも限らないのです。そう考えると、柔道界が、この淪落の状態を放置していると言われても仕方がないのです。あるいは、氷山の一角で、乱れに乱れているという指摘も出てきます。私達グループは、このことにいち早く警告を促し、自制してきました。また空手という武道は打撃中心ですので、柔道とは違う側面があります。
 さて、この内容は、道場生はもちろんのこと、指導者、スタッフまで徹底すべきことなのです。心をリラックスさせて、悪しき習慣があるとしたならば、その習慣が身に付いた方法と逆の発想で対応しなければならないでしょう。つまり、悪しき習慣性が身に付いた経路と結果をしっかり反省して取り組むべきであるというのです。焦って克服しようとしても挫折の可能性が強いのです。知っている人の中でも、タバコの習慣を脱却させるのに、肉体的支障を繰り返しながらも、時間性をかけて克服した例もあります。
 人は、怠惰、浪費、無節操、ギャンブル、アルコール中毒、女癖、などの悪習慣を克服できるように、勤勉、節制、倹約、寛容、愛情などの習慣を養うべきです。特に指導者は、愛情を先立てなければ、人を裁く結果になってしまうのです。今日は、説教調になっていますが、武道精神という人間的な美徳を学んでいるわけですので、この精神を習慣化してほしいものです。