2011年12月10日(八段語録1526)

積極的人生観(99)
 天国の海

 ハワイの北東部に車で四十分程走ると、湾が広がっているのです。山間を車で下りて、港に着くと、古い漁港のようなところで、これまた古い漁船や何十年も使い古した観光用の船が停泊していました。どこか天国の海なのかと疑うほどの光景に、ツアーに参加している人たちも、異口同音に、話していました。
 四人のスタッフが、案内役になっていました。古いお粗末な船で、そこに定員をオーバーしているのではないかと思える人が、すし詰め状態です。ほどなく出発しました。波が穏やかな湾という事で、亀の生殖地になっているという事なのです。大きなウミガメが、私達を楽しませてくれました。ハワイでは、亀を保護するという事で、亀ハラスメントという法律があるのです。人が亀に触れた現場を警察に目撃された時には、二十五万円の罰金を科せられるという事です。
 湾の中央まで進むと、外海と内海がはっきり分けられている境界線のようになっているのです。なんだろうとスタッフに訪ねると、サンドバーが広がっているという事なのです。深さが膝のところまで浅くなっていて、白い砂で覆われているのです。船は、途中までしか進めません。その後に船から降りて、エメラルド色の海の上の、白いサンドバーを歩き始めました。遠くに外海の白波が立ち、海岸線の山間が迫ってくるようです。そのような自然の中の膝まで海水が来る程の、砂の海を歩くのです。
 初めて観て、その意味を実感させられたのです。どこまでも白い砂の海が広がっているのです。この世の光景にはない所なのです。私もいつしか、船から降りて三十分程歩いていたのです。一人で歩いていくと、人が亡くなって、天国へ行くときに歩いていくように感じるところです。ふと後ろを振り返ると、船に乗っていた人たちも向かってきているのです。まさにあの世へ向かって行進していると錯覚さえ覚えるのです。
 さらに、シュノーケルに身を包んで、サンゴ礁の上を泳いだのですが、サンゴが美しい事と、熱帯魚が往来する様は、この世のものとは思えない感動を与えてくれるのです。我を忘れて、頭を海に付けたまま、この映像を頭に記憶している自分がありました。スタッフが余りにも長い時間、頭をサンゴ礁の中に付けっぱなしにしているので、体調でも悪いのかと、肩を叩いて打診してくれたくらい、サンゴ礁の中の光景に見入っていたのでした。
 今回、この海での発見は、どうしても見つからない探し物を、探り当てたようです。何でもない、寂れた漁師の港を出ると、そこは、天国の門であり、遠浅の白い砂浜が続く、天国の海だったのです。予備の知識を持っていた人は、それなりに想定することができたのでしょうが、私は、人気のスポットという事で来ただけに、その場所に導かれただけで感謝でした。死後の世界で、まず初めに行く場所がこのようなところではないかと、探し物を発見したのでした。親父も亡くなって四十九日を過ぎただけに、親父に関心を持っているせいか、このようなところを歩いて天国へ入っていったのかもしれないという気持ちになりました。
 強い関心が、この白い砂浜のサンドバーにはあるのです。そして不思議な事に、入り口は、寂れた漁師町です。この世が寂れた漁師町で、船で向かった膝小僧近くまで、エメラルド色の海水で覆われた白い砂浜、さらに、サンゴ礁の海の中と、あの世に夢を託すのに十分な光景でした。あの世への道を望むならば、寂れた漁師町のような現世を生きて、天地に限りなく豊かな、途方もなく贅沢な所へといく事が出来るという事を見せてくださったのかもしれなのです。
 神は、私達に自然の豊かさと、感動を与えようとしているのかもしれないのです。それに気づいて、心の法則を働かせるとき、自然の豊かさは、私達に流れ込んでくるのだという思いです。この天国の海を、私は心のスクーリンに映し出し、終着駅を描いて、大胆な新しい判断を探すべきであると思うようになってきました。自然は広大で無限です。照明の角度を変えることによって、新しく人生を出発したいと思えるのでした。