2011年12月8日(八段語録1524)

積極的人生観(97)
 親父の四十九日

 今日一日はフリーな時間を持ちました。ホテルのプールでトレーニングに集中しようとしたのでした。午前中は、しっかりトレーニングをこなしていましたが、午後からは、母は、二十七歳の大学院生の女性に話しかけていました。それもプールの中で一時間も話しているのですから、サボりというか話好きというか、何ともならないので、私はトレーニングに集中です。今日は四十分三本の水中トレーニングと陸トレで柔軟運動と腹筋運動をそれぞれ四十分こなしました。
 しかしながら、途中私も話の中に加わり、楽しい一時を過ごしたのでした。ハワイで会話が出来た人は彼女一人でした。中国人と結婚する予定だそうです。国際結婚が身近なものになったと感心させられたのですが、国際間の課題も見え隠れしていました。法科大学院でかなり頭が整理されなくて、ハワイで気分転換のようでした。とても美形で、親しみやすい性格でしたので、母と一緒になって、生き方について話してしまいました。結構余計なお世話であったと反省です。
 母は楽しんでいたのですが、私としては時間を奪われたという気がして、夕方にもう一度プールに入って、出来なかった内容に挑戦していました。それは、父が四十九日を迎えるという日だったので、快く送ってあげたくて、一生懸命に心を砕いたのでした。一生懸命生きて、生き様を残してくれた父の思い出は、私にとって財産という事になりました。私も親父のように、後孫に財産を残したいと思っているのです。それは、子供達が叫べば答えることができる生き方をしたいのです。私の財産は、教訓を必要とする後孫に、必要とする内容を与えることだと思うようになってきているのです。
 そして、親父の最後の姿は、精神的にも、肉体的にも満たされている姿でした。そして「ありがとう」と、誰にでも感謝という一言を語り続けていたのです。親父は、感謝の心を持って人生の終盤は過ごしたのです。別荘で親父の誕生日や正月など、兄弟が集まる時には、いつも涙を流しながら、喜んでくれたのでした。それは、私が思うに、親父の豊かさであったのだと、いまさらながら感じさせられるのです。親父の心には、気持ちの豊かさを阻む心は、何もなかったのです。誰も他人を妬むこともなく、悲惨な気持を表したことは無かったのです。もう既に、人生の終盤の親父の心は静かであったのです。親父の心が静かであるように、いつしか身体も静かになるように命じさせられて、あの世へと旅立ったのだと思うのです。
 親父の心は、全てくつろいで、心の表面に安らぎしかなかったのだと思うのです。親父は人生を満喫して、それを実現したが故に、宇宙のゴールデンルールに則って、あの世に旅立ったのです。親父は人生に「答え」という言葉に回答をして、私達に伝え、子守唄を歌うように、静かにこの世を去ったのだという思いがするのです。