2011年12月5日(八段語録1521)

積極的人生観(94)
 ハワイ四日目 母とのトレーニングは続く

 特に今日イベントは入れなかったのです。立て続けに母を振り回すと、年齢が八十二歳だけに、疲れが出るという予測からでした。その為に、朝の十時から、早速プールでウォーキングに取り組みました。ちょっと気温が低いのと風が強めにあるのが重なって、躊躇したのですが、取りかかりました。私の指導は、膝を上げるようにして、股関節を前後に動かす訓練です。母は、腰が固定されて、股関節まで自由な動きができないということなのです。特に左が動きにくそうでした。一時間程して、身体が冷えるという事で切り上げて、昼食の支度をし始めました。このハワイ滞在の期間は、私が調理人です。糖質制限食を中心としたメユー作りです。今日の昼食のメニューは、オマールエビをフライパンで焼いて、野菜サラダと一緒にしたのです。その他に野菜ジュースを、コップ一杯にして出したのです。
 今日は、母が何気なく言う言葉が心に突き刺します。家にいるときは、空手の運営と妻の手伝いで、母と話し合う時間が少ないのです。その事を一言突いてきたのです。申し訳ない思いがしましたが、今回のハワイでの十日間を親孝行の期間として、最後まで全うしようと思いました。結構忙しさに紛れて、母に挨拶をするだけで、会話が少なかったという反省なのです。私の基準で考えるのではなく、母の気持ちに合わせなければならないという事を痛切に感じさせられたのです。
 その後、夕方になって、ホノルルを一周する無料のトロリーバスに乗り込みました。昔仙台で走っていた市電のようで、観光客という気持ちにさせられます。一周するのに一時間余りでしたが、カラカワ通りから、ワイキキの浜辺、ホノルルマラソンの出発点である市役所前など、夕暮れ時を車窓から楽しみました。母の喜んでいる姿が焼き付きます。その後、レストランでの夕食を取りました。これも糖質ゼロを目指して、野菜サラダや、魚料理、そして、パンやご飯を食べないメニューの選択を心掛けたのでした。
 道中、母の自慢話に花が咲きました。どのように家庭を切り盛りしてきたのか、親父をコントロールしたのかを詳細に話していました。そして口癖に、実家の金森家の兄妹の幸せを願って生きてきたのかという事を話すのです。それが自然にできたので、今の兄妹に包まれて幸せに生活できると話すのです。今回親父が亡くなる前に、官澤家の為に、現金のほとんどを費やしたのです。借金で抵当に取られる状態を、見るに見かねての決断をしたことを誇らしげに話していました。
 母は、息子たちに財産を残すことは余り考えていないようなのです。心の富を築かせようとしているのかもしれないのです。私は母から悟らせられることばかりなのです。信念、確信、情熱、自分への信頼などが、母の姿から気づかないうちに、受けついているのではないかという事なのです。それが、今の健康と役割でのミッションの達成につながっているのではないかと思うのです。
 私は、自分を深く反省するのです。両親の姿が、私を借り出してくれたのかもしれないという事なのです。両親の姿を見て、自分の能力を発揮しているのではないかということです。特別な事ではなく、幼少の時から教え導かれてきたことが、自分の能力であると思えるのです。今大きなミッションに取りかかろうとしています。大きな役割をしようとする時に、しばしば両親の今までの指導が、発揮するのではないかと微かに期待しているのです。