2011年12月2日(八段語録1518)

積極的人生観(91)
 親孝行

 身支度を済ませ、母と成田空港を目指して、グランビアを運転していきました。母も八二歳ですから、東京駅の混雑や乗り継ぎの距離を考えて、乗り物で余り出入りをしない方が良いという判断からでした。気になっていたのは、親父が亡くなってから、食事管理ができなくなっているという事でした。法事や老人会その他の集まりで、血糖値を上げてばかりいて、それでもあまり気にしていない様子でした。
 それでも、平気にしているので、突然何かがあってからでは大変と思い、血糖値を計る機材を準備して、いつでも食前、食後二時間の血糖の数値を集めるようにしたのでした。案の定、高い時には3百という数値を叩きだしていました。間違いなく透析患者予備軍というところなのです。私の場合、入り口から血糖の高い食品を避けるようにしてきているので、食前は、百前後を行ったり来たりで、食後二時間が百五十という数値で、ほぼ平常になってきているのです。
 今回のハワイでの一週間余りの生活は、母親が父親を亡くしてからの悲しみを除去しようとするのです。私は、ロシアへ空手指導に出かけましたので、悲しんでいる暇もないという状況を作りましが、母親は悲しさを紛らわせていく為に、食事に走ったようでした。そこで、不健康な常用を打開するために、一緒に生活して食事療法をするという事でした。ハワイでは、自炊付のホテルを予約したのです。とても安上がりでした。
 この日の二十一時、ホノルル行のジャンボ旅客機に乗り込みました。満席状態でした。千順さんに、食事から生活管理をお願いしていましたので、心配はしていませんでしたが、先回今野県会議員を応援した時に、糖質ゼロの食事をしていくとするならば、糖尿病は克服できるという指導を受けたばかりでしたので、この指導方針にしたがって、母を血糖異常から克服したいという気持ちになっていました。
 今の母の状態がいつまで続くか分からないのです。まして、健康状態が悪化したならば、養護老人ホームへ通わなければならないし、もしかしたならば、入所しなければならないかもしれないのです。そのような事を頭によぎると、この旅行は、健康管理を徹底させる良いチャンスになるのです。母と過ごす健康研修会になればいいという気持ちが強いのです。
 機内食を食べる母を指導するところから始まりました。一時間もすると、食事の時間となったのですが、何も気にせずに、母は、全てを平らげていました。そこで、早速健康講習に乗り出したのです。ご飯もの、ケーキ類を控えるという指導をしたのです。比較対象は私という事なのです。実地研修ということになりました。私の場合も、長年の不規則な食生活で、糖尿病予備軍なのです。血糖値が高めに推移していたのです。そこで機内食でも炭水化物のような穀物類を徹底して省いて食事をするのです。その結果を器械で血糖値を計るという行動に出たのです。食後二時間目に、母は四百近い数値を表していました。私は、百五十という数値でした。
 この理由を話すところから出発しました。母の反発に早速であいました。食べたいという欲求から、頭ごなしに私の指導を無視するという事から出発していました。昼の血糖値と機内での血糖値が高い事を母なりに自覚しているのですが、息子に言われたくないという事からなのです。しかし器械の数値は的確でした。強がりを言っている母でしたが、ホノルルに降りてから、少し神妙になっていました。外国という分からない土地という事もあって息子に頼らなければならならないという事が、意識にあったのだとおもうのです。
 ホノルル到着は朝になっていましたので、その結果も検査しました。やはり高い状態が母は続いていました。ホテルにチェックインして再び、昼の食事を取るのですが、今度は私の指導に従ってくれたのです。肉と、野菜サラダをたらふく食べさせたのです。そうして二時間後に計った数値は、私が百五十、母が、百九十でした。糖質ゼロの指導は的確でした。この結果を踏まえて、指導権を握った私は、繁華街のABCスーパーから、食品選びをして買い入れてきました。本格的な健康修練会の出発が始まったのでした。