2011年11月30日(八段語録1516)

積極的人生観(89)
 組織発展に愛情の光明

 11月も最後の日を迎えたのですが、収穫があったという気持ちが大きいのです。というのも、恐れるものが何もない状態になってきているのです。すなわち、悪い事を考える必要がないという事なので、良い結果を期待するだけだという事なのです。当然良い事を考えながら推し進めていくので悪い結果など得る筈はないという確信なのです。
 グループを運営して最近感じる事は、素晴らしい弟子との出会いであり、新たなる創造へと挑戦することができるという事なのです。ある意味で、これからの栄光の道が、私の心にあり、私はただ発見していくだけなのかもしれないのです。もう既に勝利は決定していて発見だけが役割であるといって過言ではないのです。ある意味で、豊かさを運んでくれる一切のものをひっくるめて、前進できるのです。もちろん健康もそうであろうし、愛情もだし、グループのこれからの運営を間違えなければ良いだけの話になるのです。
 ある意味で、このグループが欲することは、一般的な当たり前の事なのです。それをはっきりとした形で運営しようとするだけなのかもしれないのです。極真空手という形が、切り口という事だけなのです。この方法を持って確実に取得しようとするのです。私の場合、資格とかというものを追い求めたという事も少ないのです。どちらかと言えば、家族を求めているのであって、その上に立脚している愛情に満たされることに、生きがいを感じているのです。
 そして、欲張りなのかもしれないのです。より豊かにと求めようとするのです。まさにこの欲求は自然の衝動だと思うのです。このような当たり前の事に奮起し、自分の活動を強固のものにしようとするのですから、何を勇んでいるのかと言われてしまいます。多くの人が平凡に求めようとしていることを一生懸命求めているにすぎないのです。家族愛を所有するということに、権威が現れるという確信なのです。家族愛は、私に言わせれば第六感のようなもので、家族を大切にするという感性がある限り、他の五感を完全に動かすことができるという発想なのです。平たく言うならば、家族のためには何でもできるという事なのです。
 今心にあることは、私は、ますます家族を豊かにするという事なのです。そして道場生に対しても家族同様に豊かにしようとしているのです。私の家族が幸せになり、道場生も幸せにすることができるという確信しかないのです。この生き方が、自分の生き方であり、王道であると思っております。
そのような意味では、金銭に執着する事などないのです。家族や道場生を幸福にするという確信のないお金を持つとしたならば、節操のない、貧しい人よりも貧相であると思ってしまうのです。金銭は利益をもたらすのですが、家族と道場生に対して忠実さも要求されるのです。金銭は与えられるだけでいいのかもしれないのです。何も奪う必要はないのです。