2011年11月28日(八段語録1514)

積極的人生観(87)
 岡山県本部の誕生の序幕

 福岡の天神・博多は、私の青春時代の思い出が凝縮している所でもあるのです。すでに四十年前の事です。十八歳の時、北陸に寝袋生活三か月、東京池袋の武道修業に三か月、北海道の南区の南十六条西十六丁目に三か月、福島郡山に六ヶ月、そこから流浪の旅を九州に向けて出発したのでした。大阪からフェリーで博多まで行って、天神をうろうろする事、一か月に及んでいました。もちろん、九州全てを寝袋で回ったのです。
 その青春の思い出がある街に一日滞在したのです。ホテルの近くのニッポンレンタカー3150円で半日乗れる軽自動車を借りて、大濠公園や神社を初め、天神のアーケードを歩いて、当時の自分の姿を追ってみました。その当時の私のエネルギーは活火山そのものだったような記憶が残っているのです。燃えたぎる青春というべきに相応しい気持ちを持ち続けていたのです。お金は無かったのですが、日本中全てを探検したくて仕方がなかったのです。そして、多くの人に会いました。勉強になったのです。
 この時に、博多で計画を立てたのですが、沖縄から北海道まで隈なく回ってみようという大胆なプランでした。当然福岡空港から沖縄まで、当時珍しく旅客機で乗り込んだのです。沖縄に着くや否や、タラップを降りると太陽が強い日差しを伴って眩しかったのです。それに夏を思わせる天候に驚いた思い出があるのです。そこから、島々を回り、鹿児島から九州全体を回り、中国・四国と歩き続けたのでした。
 思い出に浸っている間も、宮城での大会の状況を北山事務局長に聞き、千葉の大会を会長はじめ、杉原師範、数納師範に聞き、広島の合宿審査会の様子を宮城師範と見学に来ていた高橋師範に聞くという細かい状況を確認することも怠らないのでした。もちろん福岡大会の様子も脳裏に焼き付いているのです。かつて青春時代は具体的に地方を足で回りましたが、今では、極真会館副会長という立場で、全国を把握しているのですから、奇妙さを感じるのです。このような切り口になるとは、夢にも、思いも依らなかったことなのです。
 ところで、今回の巡回の目的は、岡山の○○さんを奮い立たせたことでした。彼とは、三年余りの期間、大阪で一緒に歩んだ仲なのです。それなりに付き合いはありましたが、食堂の経営に忙しそうだったのです。宮城師範と同じころアプローチをしたのですが、現実食堂というのは、四六時中立ち仕事で、忙しくしていて余裕がなかったのです。しかし、今回、私からのアプローチの念願が叶ったのでした。早速、宮城師範の合宿審査を見学に行ってもらいました。それも、茶帯をつけた息子と一緒に行くという事でした。
結果は、宮城師範の姿を見て、私だけでなく、それ成りの意欲があるならばできるのだという成功事例を見てしまったという印象でした。
 後は、仙台道場を見学して、道場運営のノウハウを学び、自分で着手することになるだけの話なのです。私としては、西日本に、大阪、高知、広島、福岡、そして岡山が加わるという感動的な状況の展開であると、心踊らされるのです。そして、間もなく岡山が加わってくるのです。そのレベルにおいて、他人が加わるというのではなく、身内がこれから一緒に歩むという意識になるのです。
 結論として、最大の財産を発掘した思いなのです。富は物質的な観点だけではないのです。この人材という財産は、実在の価値なのです。また子弟という信頼関係の中から生まれてくるのです。財産という事を考えると、この世の至る所にあるというものではないのです。信頼関係を築いた中で、初めて現れるのです。まさに、財産は物質的なものから精神的なものへと移行していくのです。これぞまさに最高の財産であり、真の豊かさのような気がします。