2015年12月29日(八段語録2641)
欲望の目標と実行

 今日から、大掃除を始めました。予定は大晦日の日まで三日間です。外壁の汚れを取るところから開始です。下宿棟は、白い壁なので、汚れが目立ちます。丁寧にへばり付いている汚れを除去するのです。若い時と違って、一挙にという事にはいかないのです。その為に、余裕が出ているように見られます。時間をかけながら、休み休み取り組みました。掃除道具は、モップ・スチーム掃除機・延長コード・柄のついたワイパー・脚立というところです。スケジュールを、コツコツとこなすだけです。妻の千順さんに、途中頼まれごとでしたが、清掃モードに入っているので、「御免なさい」と謝って、計画通り大掃除を進めていました。
 さて、欲望を最大限渇望する気持ちは、いまだ健在です。放物線を描くように、妻に対して、愛情で包み込んで大切にするという気持ちは、マックスになっています。夫として、四十年近く付き合っているのですが、気持ちも、性格も理解するようになっているようです。妻からの発信で、危ないヒステリックな時には、近づかないようにするなど、距離が上手に取れるようになっています。だからと言って、淡白になっている訳でも、マンネリ化している訳でもないのです。息子家庭に対しても、娘たちに対しても、守っていきたいという気持ちがあるのです。あれこれと頼むことを極力避け、みんなの「安住の住処」にしようと心がけているのです。そのような意味で、三世代の家族を守ろうとする欲求を最大の欲望として、エネルギーの源泉にしようとしている訳です。
 ところで、私の欲望をどのようにしようかという答えは、果てしなく、マックスまで昇りつめる欲望を、家族という世界に連結させるという手段が、私の最大なる対処法でした。もちろん道場生に対しては、家族の延長ですから、そこに全てを投入するという事が、マックスに膨らんだ欲望の対応という事になるのです。簡単ですが、このような当たり前の事を、教えてくれる人は誰かいたのでしょうか。この悟りは、私の両親の姿から悟ったという事です。
このような当たり前の発想は、私を自由にしてくれました。そして、欲望を最大限投入することができる、実行力にしてくれたのです。それ故に、犯罪や不道徳とは、関係のない生き方ができたのであると思うのです。家族の為に一生懸命になるという事は、四肢五体が裂けるような道でも平気なのです。屈辱や苦難そして苦痛も平気なのです。それは家族という素晴らしい「城」をゲットしているからという事なのです。とくに、「衣食住性」の全ては、夫婦という最小単位で満たされるものという事です。結婚式で誓った事は、今でもさわやかに、生き生きしているのです。私が愛する人は、生命を投入しても保護したいという事です。
 今日は、息子夫婦との会話がありました。結構長い時間話をしていました。心に秘めているものを表現していました。息子夫婦で訴えるように説得するという事は、親として考えてあげなければならないという事だと思うのでした。親として何をどうすべきなのか、妻は妻の立場でいろいろと話していました。また、娘の順香からの提案がありました。これに関しては、妻の信念が勝っていました。妻の子供達に対する愛情の真剣な姿が目に焼き付きました。私はというならば、主体性に任せてという事を提案したのですが、玉砕されました。