2015年12月28日(八段語録2640)
道場の収支決算
道場の帳簿を整理すると、収入がいくらで収支がいくらかが正確に決算できます。創立当時は、開拓という事で、ふり返って見れば、いくら収支計算を徹底しても、黒字になるという事は、どう考えても難しかったのです。最初は、仙台の繁華街の一番町に道場を構えていました。私は道場生の募集を、河北新聞のイベント覧、電話帳の広告、この二本柱という事で進めていました。もちろん、人通りの多い、一番町のアーケード街でしたので、チラシを毎日のように配っていました。それが四年余り継続しました。それから、榴岡教室に移ってからは、住宅を中心にチラシ配布をしていたのです。一年に換算すると、十万枚の配布を続けていたことになります。毎月の収支が赤字という状態が続きました。ちょっとの冒険で莫大な経費を消耗していました。多い時には、テナント三つを押さえ、三道場を常設にしていたのです。
そんなときでも、人生の収支を考えたならば、道場生が増えて、多くの人が育っていきました。そのような意味では、道場運営としての人材育成という、人生の収支決算は、黒字なのです。人を育てなければ、地を叩いて痛哭しているに違いなのですが、多くの弟子たちが育っていくようになりました。そして、その弟子が、幸いに、道場運営の困窮を立て直したのです。それは、私にはできないような、無駄を徹底的に除いた経営という事でした。私に対して忠告し、言葉だけでなく、具体的に道場の番頭を買って出たのが、今の菅野師範なのです。会議をしながら、徹底的に運営方針の見直しという事でした。そして、七年忍耐し、やっと運営が軌道に乗ってきているのです。それは、その努力は並大抵なものではないと思うのです。そして、その成果の土台の上に、私の姿勢は、スタッフメンバーの人並みの人生に、責任を持つという事でした。それを今遂行中なのです。道場生に対しても、まして運営の第一線に立っているスタッフに対しても、最大の配慮をするというのが私の姿勢になります。その為の道場であるのです。
私は弟子達を一生懸命に、我が子と共に、ある意味では、一緒に育てたのでした。寝食共にするぐらいの愛情を投入してきたのです。それが、十年以上の歳月が流れると、道場生から自発的に支えてくれるという行動をして、成長した姿で返してくれたのです。その時点で、私の目的は達成されたのです。道場生が人生を成熟させ、社会に対してリーダーになっていったのです。これこそが、私の道場生に対する人間性を育てる根本原則なのです。道場生が豊かに生きることも重要ですが、恩返しをしてくれるように、私のミッションを手伝ってくれるという行為は、どんなにお金を出しても、果たせるものではないと思っているのです。同じ、視線に立って、将来の指導者を育成するという、私のミッションに協力してくれているのです。そして、それが、後世に受け継がれていくとするならば、そんなに幸せな事はないのです。人が真に生きる道、そして死んでいく道の流れが、出来ていると思っているのです。結局、人を育て、愛情を尽くしていくという人生は、報われなくても、生きがいあるものであると思うのです。これが、道場運営の黒字であると確信しているのです。
そのような意味では、この歳になって、たとえ死を目前にしても、もがく様にはならないという事です。安心して、弟子たちに任せることができる心境なのです。