2015年12月27日(八段語録2639)
今の時代は世界と一人一人が繋がっている
時代の恩恵に授かって、世界の情報がネットで寸時に分かるような時代に突入しています。世界の状況が手に取るように見える時代なのです。時代と共に科学の発展には驚きます。いつも世界に心を馳せることが出来るという事は、時代的恩恵という事でしょう。そして、そんな世界を見せて貰っているのですから、心に残るのは、世界と人生という事になるのです。それは、明治維新のような志士が抱いた世界に対する憧れではなく、今の時代は、切っても切る事が出来ないような身近な関係になっているのです。
世界中の人達の喜びや悲しみが、座っていようが動いていようが情報として入ってくるのです。このような生活舞台は、世界的舞台として、一人一人に要求されているのであると思うのです。喜びも悲しみも、世界中の人達が絡んでくるという事です。そのような意味では、どうしても世界と私の人生というレベルでの生活が好むと好まざるとにかかわらず、待ち受けているという事です。世界中の人達と、私の心と体とが共鳴して、実感できるような事が願われるような気がします。そのような意味でも、視野が狭い生き方はしたくないものです。
さて、そのような時代であるからこそ、極真空手という切り口で、理想の形の武道として提示することは、希望を何らかの形で与えていくという事に他ならないと考えるのです。その為にも、空手道の道を究め、多くの道場生に提示していくことは、意義のある事だと思っているのです。たまたま、世界に対しての切り口を持つことが出来ました。そして、その道を究めた人生という事ですから、世界に対する極真空手のモデルとして提示することが出来るというものです。世界に対してと言っても、妄想的で観念的であってはいけないと思っているのです。あくまでもツールを持たなければならないという事です。修行を継続したことが、世界を巡回できる立場を与えて戴いたという事ですから、私の場合は、恵まれているという事です。
折しも、この極真空手という武具を纏った心身であるという事に、少なからず誇りを持つのです。そして、会長と共に、世界を回ってきたという業績は消し去ることは出来ないのです。世界に対するメッセージを残すことが出来たという事は、底知れぬ喜びを感じてしまいます。そのような意味では、会長との出会いは、奇跡のように思うのです。そして、このように活動してきたことに誇りを持つのです。今では外国の道場生が多くフェイスブックでつながっているのです。何を言いたいかというならば、このような世界を一望できる時代に、極真空手という切り口で、世界とつながる事が出来ているという事に、大きな夢を感じているという事なのです。
このように、様々な事を考えながら、師走の一日を過ごそうとしています。午後から小雪がちらついて、気温も急に下がってきました。何も美化されるような事は決してないのですが、人の思惑で、振り回されるのは御免こうむりたいという思いになります。純粋に、そして真摯に全てを受け止めて、一つ一つをクリアしたいという事です。稽古をするという事は、自分との闘いです。二時間汗を流しました。それなりに自らを叱咤激励しています。