2015年12月25日(八段語録2637)
クリスマス

 今日は、クリスマスです。キリストの誕生を祝うという事です。別に比較するつもりはありませんが、聖人として完全を目指した人がキリストという認識があります。それ故に、その当時の社会に大きなインパクトを与えたという事でしょう。それには及ばないまでも、この歳になっても、完璧を目指そうとする習性は治らないようです。妥協はしないという気持ちが強いのです。極真空手を選択したのも、この性格だからなのです。この団体は「地上最強」と宣言しているのです。それに同調しているのです。この気持ちで極真の道を突っ走ってきました。
そして、今も変わらないのです。完全を目指そうとするから、あらゆる困難が待ち受けているし、障害と妨害が多いのです。極真空手という事に関しても、本当の自分、完全な「義」を現わそうとするのです。昔から、「独りよがり」だとか、「そこまで突き詰めなくても」という事を言われ続けてきました。極真の道に百パーセント符号することができ、全力で疾走しているかという事だけを自問自答してきました。
年齢が高くなっているのだから、「そんなに無理しなくてもいいのではないの」と言われるのです。そのつど、「バカいちゃいけないよ。ここで頑張らなければ千年の穴が空く」という気持ちになるのです。自分の人生が終わらない限り、「地上で最強」の存在になるために、ある一定の基準を立てなければならないという気持ちになるのです。そうでなければ、一生懸命頑張っている人の気持ちは、分からないという事になります。
 やはり、気持ちは、頑張っている人に心を合わせたいと思うのです。そうでなければ、頑張っている人が多い社会で、何ができるというのでしょうか。そのような頑張る人達と何ら関係なくなってしまうと思うのです。大きくは、何か人類の問題に関して解決できるような人生を送りたいという事です。小さくは、隣の人に役立ちたいのです。私の思いやりが、誰かに留まれば、充実した人生という事になります。私の抱いている理念と観念を超越して、良き実在の価値を持つ存在となるように努力したいのです。
 ところで、私の性格はというならば、人との交流がない満足しないのです。人との関係の中で、何かを生み出していきたいという気持ちなのです。そうすると性格は社交的であり、明るいという事なのです。そして、誰かの為に頑張るという事での力が生じるタイプという事です。それだけに、敵も多いし、誤解も多いという事でしょう。それでも、孤独になる事を嫌うのです。そのような思いから、誰とでも交流して、充実し満足させたいのです。
 そのような思いしながら、所定のトレーニングのルーティングをこなしている時に、千順さんから電話がかかってきました。「早く帰って来るように」という事でした。家に帰ると、久しぶりに、順香の友達二人がきて、クリスマスパーティーという事でした。家族八人とですから、家中が賑やかでした。家族団欒のひと時でした。主役は孫の士紀雅です。プレゼントを四か月目で、何個も早くもゲットしていました。子供達とその友達、そして孫に囲まれた幸せなひと時を過ごさせていただきました。完全性を求めて世に問うた聖人のイエスキリストを家族で祝うのですから、その恩恵に預かるというような意味もあるのだろうと思うのでした。