2015年12月22日(八段語録2634)
怒りの頂点

 本来ならば、顧客を大切にしなければならない事業者が平気で裏切るという行為に出るとするならば、企業倫理がなっていないという事です。あくまでも、顧客の目的は、その商品を快く購入することなのです。先に予約をして、書面を交わしたにもかかわらず、札束で物を言わせる顧客を優先するという暴挙にでることは許されることではないと思うのです。更に、事業者の説明の内容を反復すると、「先に予約しようが、二番目に予約しようが、最終的には、こちらが決定するのであるから、どうしようもないでしょう」という事を、平気で表現されたならば、たまったものではないのです。こちらとしてはどうなっているのかと、首を傾げたくなってしまいます。インターネット入札ならば、期限までに価格を提示して、より目標価格に適合した購入者との契約という事もあると思うのですが、この場合、「最初の予約者との信頼関係が優先」されるのではないかという事です。
 私の仕事は、武士道である極真空手を通じて、人を育てる教育現場にいるのです。道場生が、武士道に則った人格を養わないとするならば、私塾ですから、刑法に引っかかる前に、怒鳴り、心を正すという恐ろしい師範になるのです。道場の方針に適合しないようでは、話にならないのです。その原点であるかのように、悪い事をした我が子に対しての指導は、恐怖の父という事です。倫理道徳に反すれば、容赦なく罰を加え、「父のいう事を聞け」という徹底した指導をするのです。子供の人格が形成されていない時期は、「目には目を、手には手を」という、厳格な律法主義なのです。もちろん、子供が成長して、物心がつくようになると、「愛と許しの父」として対処したことは言うまでもありません。本物の父として子供と人格的交流ができるようになったのは、成人をしてからなのです。
 ところで、このような事業者に対する対応は、私の人格は変貌してしまいます。先に予約をし、予約の約束の書面を交わし、その後何度も、電話で確認し、こちらの準備が整ったことの報告をしたときに、いきなり、不都合が出来たのでというような、不安を掻き立てる、事業者の対応はいかがなものかという事です。いくら私が人格者であったとしても、律法主義に陥るのは当たり前の事であると思うのです。「愛と許し」以前の立場に立ってしまいます。もちろん、怒鳴りこんで行きます。怒りの人格に身を包むという事です。そして徹底的に闘うのです。それは容赦なしです。それでも、理不尽な行為を継続するならば、根絶やしにする勢いです。そのよう私の姿勢は、許される行為であると思っているのです。これだけ、人を不快にしておきながら、不安に陥れ、人の心を弄ぶような行為は、決して許されるものではないのです。私に不都合が出来て、断るという事例になったならば、私は心から謝るという事ですが、そのような事になっていないのです。
 この案件の結末は、どうなるのか不安な時期を過ごすという事です。顧客の基本的な願いはというならば、「この件に関しては責任を持って対応します。決して悪いようにはしません」という表現をして、誠実に対応することであると思うのです。特に、利害が絡む場合には特に細心の注意を払って、対応すべきであるという事です。とにかく、一日中、嫌な経験で心穏やかでない時間を過ごしたのでした。