2015年12月18日(八段語録2630)
家族の事を考える日々

自分の人生を考えると、ただ生きるためだけでは、何ともなりませんでした。ただ老いて死ぬためでも、面白くないのです。これまで歩んできての実感としては、平凡ですが、妻と愛の巣作ってきたことが誇りということでしょう。一人では面白くなかった人生をであったかもしれません。一人ではなく、私たち夫婦で繰り広げられた人生は楽しかったし、最も逞しく生き生きとした、人生を歩んだのかもしれません。そして日々の生活で、より新しい希望を触発してきたのでした。昨日があれば、今日があり、明日があるというように歩んで来て、当然、明日がなければ、面白くないという事なのでしょう。
息子家庭が出発して、私達夫婦と同じような立場になって安心もしました。息子夫婦の子供がうまれるようになると、もうこれで本当の上下関係ができたように思うのでした。左右に夫婦が、上下に私達夫婦と息子夫婦がいるという、三世代家庭の存在になっているように思うのでした。ここに最大の価値を見出したという事は、人生にとって、悪い事ではないと思っているのです。
ところで、人より高い役職についても、一瞬の栄誉に過ぎないように思います。もちろん、無いのですが、財産を集めたとしても、死んだら一切の財産は残していかなければならないということです。お金や名誉や学識、その全てが時と共に流れ去ってしまいます。いくら立派な偉大な人であっても、生命が尽きたら終わってしまう、哀れな人生ということです。
 考えてみれば、かつて若き日は自分とは何か、自分が何故生きなければならないか、いくら考えても、わからなかったのです。そして、過ぎ去ってみれば、その答えは簡単だったということです。生きてみれば、家族と共に生きてきたという、結果としての答えが出てしまったのでした。このような事を考えながら、自らの意志で選択した唯一の価値として見出したのが、家庭という事でした。今も、どれだけ家族に愛情を注げるかという事を、真剣に考えているのです。そして、ここに人生の勝敗を、賭けてきたという事になったのです。
 今日も、寒さをも、もろともせずに、新規に出かけました。このような発想で、道場を運営しているのですから、道場生に対しても家族という事です。だからどんな道場生に対しても、温かい気持ちで接しようと思うのです。お願いしたいのは、道場生であり続けるように、お願いしたいし、私達の家族として生涯貫いて貰いたいという事です。その仕組みを考えないと、節目で道場生が退会してしまうという事になってしまうのです。それでも、本人の極真空手に対する意識が無くなれば、どんなアプローチも無駄になると思えば、空しくなってしまいます。人を生かすことに全力を注ぐ土台は、やはり、極真空手を継続していく道場生でなければ、ならないという事を意識せざるをえないのでした。
 極真会館という継承者になって,手塚会長を指導者として頂いた人生でありますから、このような運営もできるという事です。ダイナミックな道場運営をしていきたいという事を思うですから、視野は広がっていくばかりです。それだけに、道場生が大きなビジョンで大きく羽ばたいて、大きな社会貢献をしてもらいたいという思いになります。道場生に誰にも負けない人生をエンジョイしたいという事を、心の底から思うのでした。