2015年12月17日(八段語録2629)
子育てこそが道場生への愛情の原点
銀婚式を越えて、金婚式に向かおうとする私達夫婦です。私達夫婦のこれからは、限りがあるでしょう。それでも息子・娘が今後を背負って家庭を持ち、後孫が繋がっていくとするならば、意識しようがしまいが、続いていくという事なのだと思うのです。そのような意味では人並みの喜びを感じているのです。こうして夫婦として息子・娘を生んで親になってみると、独身時代とは違った、親子の喜びを感じることができたものです。そのような親子の関係からあらゆるアイデアを見出すことが出来き、子育ての経験の環境を持って、心の世界は無限に広がったように思うのです。そして、子供達を中心に家族に愛情を注いだことが、極真会館宮城県本部に集う道場生を、教育していく上での原点になっていることは間違いないのです。単純な発想なのです。感謝すべきことに、子供達に注いだ愛情の種を、宮城県本部の道場生はもとより、世界中の道場生に愛情を注ぐベースになっているのです。これは、とてつもない教育を、通じた愛情の喜びとして、私達夫婦を満たしてくれるのです。それだけに、子供達も道場生もどれだけ大切かという事です。このような贈り物のような経験を、天は私達に与えてくれたという事です。
さて、このように経験できた原点は、妻の千順さんが妊娠した時からでした。その子供が動き始めると、たくさんの思いが生じます。夢が膨らむのです。「将来この子が大人になったらどうなるのだろう」とか様々ですが、この我が子が、私達の懐で育つと思うと、愛情を中心として、天下を呼吸しているようにさえ思ったものです。子供達には、自分の全てを投入したように思うのです。愛情の限りを尽くし、愛の風呂敷をかぶせようと一緒に動き回ったのです。仕事に出かけては、また戻ってきて、一緒になって刺激を感じるのです。夫婦関係も、子供に対しての気持ちも、雷が鳴り、稲妻が光るような感覚で愛情を注いだように思うのです。毎日が晴れのち雨のように、刺激的な感覚だったのです。結婚生活と子育てが魅力的な日々でした。何かすべての自然の道理を、追求するような人生だったように思うのでした。
ところで、何も考えない私でも、青春時代を悩ませた「性」への思いは、上手に夫婦関係に連結されたという事実と、私の生理的な現象が子孫の為であるという事が、夫婦生活の中で感らじれて、どれほど貴重な事であるかという事を、今にして感じることが出来るのです。このような夫婦生活と、子供を育てるという事が、人としての目的であるという意識になれるのも最近の事です。一番悩ませた「性」についての最大の解決点が、最大の人生への貢献をするとは、思ってみなかったのです。そのような貴重な「性」に対する認識を改めて尊く思うのでした。
そのような気持ちを抱いて、新規の闘いをして、幸町教室での帯の授与式、田子教室での、指導者研修会での訓示と時間を惜しむように過ごしました。指導者にとって大切なことは、青少年教育をする上で、自分自身を正すという事で、歳の瀬に話すことは、人を傷つけるなという事と、ふしだらな行為をしてはいけないという二点に関して、協調したのでした。だらしない指導者には、なるまいという意識を全員に話して終了したのでした。