2015年12月14日(八段語録2626)
極真会館宮城県本部の設立の経緯

 極真会館宮城県本部は、当然趣味で作ったのではないのです。もちろんいたずらに造ったわけでもないのです。あくまでも、苦労と困難と、到底表現することができない程の内容が含まれているのです。仙台に帰ってきて、家督としての家を継ぐという事がメインでしたが、サラリーマンと下宿業との家業でしたので、後を継ぐといっても、男としてやりがいのあるものが在るかというならば、在るはずもなく、どのようにしたらいいのかと模索する日々が続きました。ちょっと今にしては、考えられない行動でしたが、四十歳を過ぎて、大学で世の中をもう一度学ぶところから始めたのです。目指したのは経済学を学んだので、税理士の資格免除を狙って、ダブルマスターでした。それで税理士を目指したかというならば、そうではなく、その資格を振り切って、極真の師範への道という事でした。人を育てることに心血を注ぎこんで行こうとしたのです。自分の生命と核心をすべて注いで、金銭よりも人を育てるという事に意義を見出したという事なのです。
 そのような意味では、どんな力をもっても離すことができない、離れようとしても離れることができない、人生そのものと言っても良い、極真の修行の延長としての指導者の道を選択したのでした。この選択に要した期間は八年に及びました。大学・大学院と模索は続きました。その結論が、手塚会長の後押しであったという事です。会長も安定したサラリーマン生活に決別し、不安定な極真の師範の道を選択したのでした。私も、誰かの基盤を受け継ぐという事ではなく、一人で開拓という難しい道を選んだのでした。開拓ですから、何もない処からの出発です。くじけるわけにはいかないという決意が、にじんでいたのでした。もちろん家族があり、子供達が居ましたので、稽古は、自分の子供をメインにする日々が続きました。そのような意味では、我が子に対する愛情が出発になったのです。愛情の核心からの極真会館宮城県本部の出発ですから、動機も過程も結果も、悔いが無いという気持ちでした。
 ところで、私の理想を、この極真と共にという気持ちでしたので、力が湧いてきました。かつての、青春時代の全ての汗と涙が結実しているのです。体重100キロある体は、ただ太っただけではなく修行の汗と涙が染みついている身体なのです。そのような思いが息づいていましたので、疲れを知らずに日々を過ごしてきました。指導者になって、もうあれから二十年も過ぎているのに、疲れを知らないのです。それは、生命と愛情を込めるのに相応しい内容があるからという事です。全身全力を尽くして、自身の全てを投入することができたと確信するに至っていたのです。今もチャレンジなのです。誰にも恥ずかしくない基盤、誇れる組織を作ろうとしているのです。いやいやながら仕事をするという事ではないのです。この生命、燃え尽きるまで頑張り通すという決意が漲っているのです。私としての欲望の最終地点、最大の完成基準を目指すために、どのようにするかという事を考えているのです。このような人生に導いてくれた運命に感謝という事でしょう。
 風邪気味で体が思わしく動かないのですが、それでも、心は夢に向かっているという事です。そのような一日でした。健康な体を回復して、できるだけ理想的な歩みをしたいという欲求でいるのです。今は、元気が一番という事です。