2015年12月5日(八段語録2617)
入門者のご両親に対しての話
個人的にも、極真会館宮城県本部の事でも、忙しい一日を過ごしました。市内ですが、車の距離も長い移動でした。このような現代社会は、核家族化が進んで、隣近所に何かを聞くという事が少なくなっています。色々と情報はあるのですが、どのように対処していのか分からないという現状のようです。新しく道場に通わせたいというご両親に話をするのですが、結構私の話が、新鮮に感じて貰っています。というのも、この道場で、普段の生活で得ることができないものを、与えてもらえると思って下さるのです。要するに、両親が指導できない内容を、私達に委ねてくださるという事です。私が全国を行脚して、学んだことは、釈迦や孔子・孟子という高尚な教えは、経典のような難しい文章ではないのです。そのような話は、なんだか嫌になってしまうものですが、私の結論としての最高の真理は、人間であるという事という事です。そして、成人して夫婦になり父母になっていくことが人としての最高の生き方であり、真実なのだと思うのです。この「人」に必要なものが愛情であり、生命であり、血筋が繋がっていくという事でしょう。そのような簡単な回答になっていますが、それがすべてであると、勝手に結論つけています。
そのような確信めいたことを、新しく入門してくださる両親に話をするのです。誰もが当然だと思う事ですが、そのような事を真剣に話すものですから納得もしてくれるのです。人だとか、子供だとか、夫婦だとか、父母だとか、それは経験してみなければわからないことです。そして、自分が感じたものが、すべてであるという事です。「それでいいのだ」と私は思っているのです。そして、その思いを高めるように人生という舞台で経験していくことができるのが最高であるという事なのです。私も十代の青春時代から親もと離れて、壁を越え、限界を超え、山を越え、川を越え、冒険の道を歩んだものでした。そのような経験をして、人は何たるかという事を学んだものです。そして学んだものが、全てであると思っているのです。人生の論文はそのようなものだと思っているのです。それだから、経験した真理を一生懸命に話すのです。そうすることによって、ご両親が納得してくださるのです。
ところで、今日も錦が丘、成田のご両親の方に、当たり前の事を話してきました。結構この普通の話が入門の動機となってくれるのです。私が一生懸命に歩んだ、人生そのものを話すのです。そして、その話が実に説得力があるのです。本気で人生を歩んだ私に対して、共鳴してくださるという事です。最近は、北山事務局長は、道場の説明の前に私の話をするようにしています。それは、一生懸命歩んだ人生であるから、無限な力があると感じているのであると思っているのです。とにかく人生を真剣に歩む自分であるという事が、大切であるという事です。
これからは、本気で基盤を広げようとしているのです。実質的な闘いまで考えてきました。今まで空理空論が多いのでしたが、実質的な恵沢を導入しようとしているのです。それが説得力のあることであるし、確実に基盤が築き上げられるという事であると思うようになって来ています。そのような一日という事でした。その後は、通常のトレーニングをして帰宅でした。