2015年12月3日(八段語録2615)
人格教育に徹する道場
私の闘いは、どのようなものなのかという事を、少し検討しながら、次のステップに向けて、準備をしているのです。一つは、あまりにも飛躍・跳躍しない事でしょう。スタッフの冷静な眼を通すならば、自分の発想のレベルがわかります。それでも投入するかどうかは、自分の責任になるという事です。私自身、ロボットではないので、願いもあり、事情もあり、気持ちもあるわけです。それがスタッフの意見と釣り合うようにするという事は、お互いの願いも事情も、気持ちも分かち合うという事なのです。極真会館宮城県本部は、人格的な繋がりを重要視します。そして、スタッフは同じ素質を持っているのです。結果、人格的な交流を整えて、一致を見るのです。そして、その権限を発揮させて、決定に至ろうとする基準まで発見しようとするのです。そのような内容を明確にすることができるような、組織は驚くべき事という事です。至る所に、師範といわれるような責任者がいます。しかし、残念ながら気持ちが、通じて通過できるような道を提示して指導する指導者は少ないのです。
さて、極真空手は、人間が守らなければならない社会的倫理と道徳を教えてくれます。また、無限な活躍の場を探求する道も示そうともうするのです。そのような意味では、倫理道徳と活躍する分野を悟らしめる指導をしているというのです。すべての道場生の為に一歩ずつ道を探求しなければならないのです。空手道の最終的終着点は、道場生一人一人が自分の道を発見してもらうことです。その為に、考えているすべての内容を整え、意志を整え、理想を備えた人格を目指そうとするのです。すべての面で通じることができる、情緒面や思想的な面、また意志力の面で、しっかりと社会に通じることができる人格を目指させるのです。そして、色々な試練を乗り越えて、人格を豹変させることではなく、貫く人格を目指そうとするのです。人生をつまらない内容にしていいでしょうか。そう思うと、このような理想を抱こうとすること自体、偉大なことであると思うのです。
ところで、運営の安定は大切な事です。今まで紆余曲折がありましたが、多くのスタッフに助けられ、ここまで来ることができました。すなわちスタッフの能力は、私を越えて発揮しているという事です。私に似るだけでなく、自分の道を一歩ずつ力強く歩んでいるという事です。つまらない人間にならない為に、極真空手の稽古をするのです。それだから、人格と愛情をベースとした人を目指そうとするのです。それ故に、空手だけが強くなるような人を目指さないのです。あくまでも人格を磨き、愛情あふれる人としての道を行かせるのです。それが私の基本的な方針なのです。道場生と私とは、何で連結されるかという事です。これまた言うまでもなく、人格と愛情で連結されていると主張するのです。私と道場生は、心が連結されているという事です。そんな道場の理想を訴えているのです。
今日は文誉の誕生日でした。明後日は順香の誕生日です。私の人生の目的が、子供達の為であることを夫婦で確認しあっています。自分がどうあれ、結局子供達の未来の為に生きてきたのです。極真空手で指導したのも、その為であり、その理念で教育したのです。目的がそこにあったのです。大きくなって成人した子供達を前にしても、そう断言できるのです。そして、息子夫婦は孫の士紀雅を生んでくれました。こんな関係の延長が道場なのです。