2015年12月1日(八段語録2613)
自分自身の健康の価値を再確認

 昨日は夜まで都内でしたので、一泊することにしました。疲れが溜まっていましたので、ぐっすり八時半まで眠っていたのです。最近は、あまり無理することないようなスケジュールを立てていて、しっかり肉体の管理をしようとしているのです。若き青年時代と違った管理をしないと健康寿命を延ばすことができないように思うようになっています。かなり古びた中古車のような年齢ですので、メンテナンスをしっかりしようとする意識は強いのです。それでも、自己創造をしようとするのでしょう。絶えず努力です。そして、家族との愛情の絆を作っていくことを目指すという事です。それはともかく、九時に出発して、晴れ渡った高速道を仙台に向かって運転し続けました。実に気持ちの良いドライブ日和という事です。三時間継続して運転していました。安達太良サービスエリアで一休み、そして一時間余りで到着という事です。車の流れもスムーズでした。
 仙台に到着してからは、色々と考えることが多いのです。自分の体のメンテナンスや家族の健康の事、そして、その健全な家庭環境を維持して、愛情あふれる理想をどのように成就していくかという事、また孫の士紀雅の誕生は、我が家に明かりが灯ったようにも思えるという事、様々なのです。それは、空想ではなく実体があるという事です。そして孫が我が家の中核になっているのです。健康で肉体を纏っていることに、限りない幸福感を感じるのは、自然の理のような気がします。それなりに、考えることが連なってきます。この肉体が無ければ、地上に生きていくことはできないという事、それも健全な肉体でなければ、自由に思うように動けないという事、また妻の千順さんとも愛を分かち合う事が出来ないという事になります。絶対に体が必要であるという認識のもと、大切にすべき身体であるという再確認をするのです。
 ところで、このように健康に過ごす事、それから、あらゆる環境からの疎外を受けない事、もちろん多額の借金は、気持ちが落ち込みますから、阻害要因にもなります。そのように、健全な精神態度と環境を構築していくことを最大の努力目標という事にしている訳です。ギャンブル等は論外という事でしょう。すべては実存する自我を最大限活用する戦いをどのようにするかという事がメインになりそうです。そうしないと、刺激的な健全な生き方ができないし、私を最終目的として願われた先祖に申し訳ないという気持ちになります。私の肉体を使って、多くの人に奉仕するという事は尊い事です。まして、この肉体が無かったら、子供達は生まれなかったであろうと思うと、肉体という衣を着ているという事が、どれほど大切であるかという気持ちにもなります。当然、私はお化けではないという事です。
 結構、自分の考えが浅いかもしれませんが、結論として到達することは、自分自身を大切にしようとすることです。ここまで人生を歩んできました。振り返ると結構、真剣に歩んだものです。これからも一生懸命歩むのが人生であると思っているのです。そして真剣に自分に向かい合っています。例え極真会館をメインにしても、その事ゆえに人を育てようと思いますが、決して車輪の下にはしたくないのです。私と共に歩むならば、人生に希望が生じるという事が、前提という事です。それを目指して戦うのです。