2011年11月26日(八段語録1512)

積極的人生観(85)
 新たなる出発、広島へ

 午後から、広島県本部の合宿審査会に参加してきたのです。道場生三十数名とご父兄の参加で、いつもの青年自然の家で行われました。一時過ぎには宮城家の家族が、エルグランドに乗ってホテルに来ていました。家族に会うと、心が和みます。喫茶店でお茶を飲みながら、急に身長が高くなった小学六年生の次女の話になりました。いつまでも、家族と話をしていたいのです。豊かな気持ちの観念で満たされてしまったようでした。心地いい日差しと家族との会話の中で、会場に出かけたのです。このような事の積み重ねが、人生を豊富にしていく事なのだと思うのです。何も無いからというのではなく、このような家族との関係が大切であると感じさせられるのです。
 最近の私の考え方は、年齢を重ねたのでしょう。何か無いからという欠乏感から、上昇志向をするとうよりは、充実した中に生きがいを見出すことが多くなってきているようです。その理由を考えるのですが、家族の中に豊かな幸せが存在しているのだと感じるのです。神仏がどこにでも、偏在しているように、無限な幸せは、身近なところにあるのだと思うのです。当然、自分の心の中に幸せが存在していなければ何にもならないのです。確かに、金銭的豊富な生活をしているかというならば、それは否ということですが、心の態度だけは豊かでありたいのです。
 私の場合、このように広島県本部に来て、道場生のご父兄の方といろいろ話をすることができているのです。さらに、直接道場生の成長を見せてもらい、目標に向かって広島本部の発展を遂げようとしていることに、自分の事のように豊かさを感じるのです。このような状況を通じて、私の道徳的価値や知能的価値を築いていくのだと感じてしまうのです。広島県本部の合宿審査は、まさに虹の向こうにある感動であり、それがこれから蓄積されていくとなると、輝かしい虹の架け橋を作っていくように思うのです。
 広島県本部を設立した当時から、私としては、投資に成功したようなものです。無限の愛情の対象を持ったことになり、知性溢れる宮城師範が私のパートナーとなり、ガイドなのです。彼は、今後私に対して、成すべきことに対しては、イエス、してはならないことに対してはノーとはっきり告げてくれるのです。
 このような関係が仙台の菅野師範と構築することがでました。本当に必要な弟子が現れるのです。このように信頼できる弟子が全国に出現するならば、奇跡に等しいのです。このような人材が出現することは、今までの人生を創造的に歩んできた結果であり、大胆なまでに欲しかった人材であることは間違いないのです。それが、感動であり、躍動であり、自分を誇らしげに大丈夫だと確信する材料になるのです。