2015年11月30日(八段語録2612)
ちょっとしたセミナーで感じた事

 今は便利な時代の到来という事でしょう。福岡から安い航空料金で動くことができるのです。それも福岡から成田まで一時間三十分で到着です。成田から都内まで車で動き、知り合いのセミナーに参加です。熱気の溢れたセミナーですが、参考にしながら、新しい知恵と戦略を生み出すという具合です。基本的に鵜呑みにしませんので、プランを立てて、試行錯誤するのです。私の心は形を持っていませんので、大きいと言えば無限大です。小さいと言えば限りなく最小になります。そして、思考は限りなく続くのです。もちろん、私というタイプがありますから、それなりの動きが始まるわけです。それが私の存在意義という事になるわけです。私には人相がありますし、体格という形態もあり、人格も備わっているわけですから、この実体でもって駆け巡るというのが、精一杯の生き様になるわけです。
 さて、こうして全国を動き回って、疲れるのは当然なのですが、それでも振動的な衝撃を内外共に受けるのです。言葉や、あらゆる行動の結果、刺激や喜びを感じるという事です。この世で生きているので、立体的に線と面が入り組んで面積となって、衝撃の中で、様々な感性を得ることができるという事です。この肉体があるという事は、あらゆるものが見えるという事であり、感じるという事です。エネルギーの塊は見えませんが、私の心身にはエネルギーが蓄えられて、そのエネルギーが「見える化」しているのです。それだから、この世界で人と環境を相手にして、どんな刺激にも感動するという事です。要するに、悠然とした自然に、熱き魂の私が投入されることによって、爆発するのです。ちょうどガソリンに火をつけるようなものです。このような刺激を毎日味わおうとするのですから、欲張りという事です。
 ところで、セミナーの感想は、発展する要素を持たなければならないと思うのでした。一人一人が自立するという事が前提なのに、その自立を推し進めるための戦略は全くないのです。全体の為に頑張る事は良い事ですが、その礎を支える各個人や組織が確立する戦略は全く示されないという事です。中心になるためには、具体的な戦略を持たなければならないという事です。どこに向かっていくかという方向性ですが、全体の為に個が犠牲になるのか、全体が個を生かすのかというならば、後者を取ろうとするのが、私の発想という事です。この事を当てはまるようになっているのが自然と人の関係です。自然は人を生かすためにあるという事です。私の最後の目的はこの肉体で、あらゆる体験をすることによって、この感覚器官をフルに刺激することです。その為に心身があるという事です。それだけに、自分の判断や価値を大切にしようとすることなのです。そのような意味で私の実体としての仮面は素晴らしいと思うのでした。
 そのような事で、自由な発想をしながら、あらゆる戦略を、かみしめ、魂ではなく、実体で存在して、活動できるのです。このような立場の私が自由に、大地に羽ばたいて、逞しく生きているという事を、楽しんで日々を送ろうと思うのでした。多くの人にメッセージを送って、人を大事にすることができる、人生としてブレない生き方をしたいという思いでいっぱいになりました。もちろんセミナーにも感謝しています。