2015年11月29日(八段語録2611)
福岡大会の素晴らしさ

 手塚杯全九州空手道選手権大会当日、福岡の空は曇りで肌寒かったのですが、会場は熱気に包まれていました。エリシオン福岡という名称の体育館です。会長の代理で席について、一応挨拶をして、席を温めていました。この試合の全容を見るにつけ、選手は思う存分日頃の成果を表現していました。まさに、人が持つ生まれつきの、本来の能力を発揮するようです。対戦するという事は、目の前の相手に、自動的にフルで闘うという事です。選手として、練習してきた結果を、いかんなく発揮するのです。その姿には、誰もが引き込まれるようになるのです。試合を見るにつけ、すべての試合一つ一つの内容は全て違うのです。すべてが動く傑作作品のようです。言葉に表現することはできないのです。その試合の動きをみると、すべての感覚が研ぎ澄まされて興奮していきます。それは、自分自身の闘争本能に合致するのです。試合を見ているとその事を認識することができるし、熱い試合になれば、自然に私自身も熱くなるのです。もう少し説明を加えると、細胞一つ一つが躍るのです。
 さて、この試合に出場してきた選手達は、毎日稽古に励んできたのです。一生懸命稽古に励んで、何事も一生懸命に稽古をして、昨日は眠れないひと時を過ごしたのです。そして、試合に臨んで、勝ち負けがついた時には、夢心地になるのです。勝っても、負けても何よりも尊い気持ちを獲得するのです。選手も必死ですが、それ以上に両親は、もっと心が裂けるような気持ちで試合を見ているのです。親が感じる感度、感じる度数、その量はどのぐらいでしょうか。計り知れない恩恵がもたらされることは間違いないのです。勝って兜の緒を締めますし、負けて腐らないようにと、両親は、子供達を励ますのです。そのような刺激は、試合に出てみなければわからないという事です。この試合を通じて、親子は、もっと親密になる事ができるし、多くの話し合いを持つことができるのです。こんな素晴らしい大会を、今まで、行ってきたかと思うと、幸福感に満たされる自分に気づくのです。
 ところで、今回、会長は福岡に来ることは出来ませんでした。川崎師範や道場生は、誰もが残念に思っていました。大山総裁が立ち上げて、これまで会長が築いてきた試合の雰囲気は、どの団体にも真似することができないのです。家族愛に満ち溢れているのです。それでも、この大会も会長の手に捕まるようになっているのです。会長が来ることができなくても、会長の思いが募っている大会という事です。私もこの大会の写真をメールでその都度送りました。その都度、ありがとうという返信が返ってきます。それは、会長が会場に居るかのように思えるのでした。そのような意味では、会長の懐に抱かれた大会であったという事です。私の大会参加は、会長の気持ちを伝えるという使命だけのような気がしました。それでも、大切な大会の一つという事です。
 大会の終了後、樋口師範代の経営する「極み」という居酒屋で打ち上げがありました。いつものように、ビデオを回しながら、試合を酒のつまみにしての、和やかなひと時です。私も、福岡の一員のようになっていました。酒は飲みませんが、雰囲気を作っていくのです。会話を弾ませながら、「もう少し、グループの選手が集まってくれば楽しい大会になるのに」という話聞きながら、もう少し一体感を持てるグループにしていきたいと思ったのでした。