2015年11月25日(八段語録2607)
信頼される基盤を作ることが先決

 今日は、武道で青年を教育しているグループと話していました。日本を背負う人材は、武道教育を受けて、しっかりした心身を持ち合わせなければならないという事を主張していました。私も賛同していますが、指導者が基盤を持たなければならないという事が重要であるという思いがしました。道場の指導者と言われるためには、道場生から尊敬されなければならないでしょう。これが一番難しいのにも関わらず、それをないがしろにして、この難しい内容に取り組んでいないのは課題です。何故基盤を持たなければならないかという事を考えると、信頼される人格を築いていくという事に尽きるのです。弟子を育てるという事は、面倒なのです。実際に愛情を注ぐという事ですから、これが一番難しいのです。何が重要であるのかというならば、自分の人生をモデルとして、新たなる希望を持って人生を歩める人を育てるという事です。
 さて、私は、この基盤を作るという課題に挑戦しているという事です。何か大きな組織にぶら下がって、そのスケジュールに振り回されて、結局は、尊敬もされない指導者であるならば、何もならないという事です。武道を指導した場合、弟子は、ちゃんと指導者の指導を受けるのです。そして一生懸命その理想を追求しようと思うのです。弟子を育てるという事は、一時的に尊敬されるために指導するのかというと、そうではなく、この弟子の人生に永遠に責任を持つというという事です。そうでなければ、指導者として落第であるという事です。弟子が堕落して、「このようになってしまった」という事ではいけないのです。その弟子の理想的人生に責任を持ち、その悲願の世界を果たすために、指導し続けなければならないというのが私の観点なのです。
 だから、道場で指導するという事は、最低どんなことであっても、自分と同じような立場に立って、指導者として認められるような権限を持つまでは、投入し続けるという事なのです。淡々と表現しているのですが、実際は大変な事なのです。天下分け目の関ヶ原のような戦いをするというのです。この峠を越えなければ、弟子は育たないのです。そういう観点から、どういう戦略を取ったかというならば、投入して投入して、また投入するという戦いなのです。人を育てるという戦いは並大抵なものではないのです。かえって、息子・娘のほうが楽かもしれません。そのような意味では、どのような戦略を立てなければならないかという事は必然的に生まれてきます。内容は簡単のように思うかもしれませんが、敵を愛するようなものです。説明は通じないかも分かりませんが、このような事を意識しない限り、道場生は付いてこないのです。誰が先生と仰ぐというのでしょうか。道場生に決まっているのです。その道場生との絆が問題であるというのです。
 そのような事を思いながら、これからの極真会館宮城県本部の行くべき道を模索していました。今回の外遊はとても自分をリフレッシュするし、新しい観点を学べる時となっています。自分だけの殻に閉じこもることなく、色々な人との出会いが、自分を新たなる段階に引き上げるように思えてなりません。意識は前向きです。もちろん消化することが出来ず、何をどうしたらよいかという事を考えてしまいますが、それでも、良き日という事です。