2015年11月19日(八段語録2601)
終始一貫

 東日本大震災から四年八か月が過ぎてしまいました。復興を推し進めているのですが、発展しているという事には、なっていないのです。現状まで復帰しているかというと、そうでもないのです。それでも極真会館宮城県本部は停止していないのです。震災を受けなかった地域と肩を並べて余りある気持ちを持ちたいのです。震災の中からどのような基盤を築いたかというならば、まだまだ実感はないのですが、後退はしていないのです。そして、その生活哲学は何であるのかというならば、絶えず挑戦なのです。若いエネルギーを結集して、この復興からの難局に対処したいという気持ちなのです。もう還暦を過ぎているじゃないかと言われるかもしれませんが、入門した当時、小学生だった道場生が、もうすでに二十歳を超えて、立派な指導員になっているのです。そのような意味で若いエネルギーという言葉は相応しいと思っているのです。
 この宮城県本部の創立の起源は、自己中心主義を脱して、愛情を投入するところから始まりました。これが原点になって、奉仕と犠牲の精神を稽古で身に着けるという事なのです。私なりに、この精神は絶対に偉大であると思っているのです。二十数年の道場の航海は、理想的とは言わないまでも、目的に向かって方向を定めているのです。それは、このように前進するという生活哲学の倫理を、先立てているためという事です。振り返っても、完全投入しかないのです。一生懸命・一心不乱という事です。完全投入すれば、独りよがりになりがちですが、それでも必ず中心的存在になるのです。これは実感体験であり、天理原則のような気がします。意外と自分の為だけに生きた人は、自己破滅に陥っていることが多いのです。しかし、自分を度外視して歩んだ人生は、すべての生活舞台で、引き上げられるのです。
 そのような理由も頭をかすめたこともあってか、できる限り我を忘れて、あらゆる困難な事に立ち向かったものです。そして、全てを忘れる工夫をしたものです。苦労した記憶も忘れているぐらいです。今日もどれだけ自分を投入することが出来るかというチャレンジをしてきました。毎日が副会長というよりも、日雇い労務者のような日給で働くような心境です。一日に全てを投入して、明日は無いという気持ちなのです。今日一日働いて、完全投入して給金をもらうという感覚です。開拓の時は、ほぼ無休・無給でした。それどころか、借金だけが雪だるま式に増えていった覚えがあります。それだけに雇われたというよりも、一匹狼の天狼のようでした。勝負師のような感覚さえありました。そして終始一貫として闘ってきたという事です。根っこが弱かったら、昔に存在すらなかったのかもしれません。
 今日も一歩前進して、気持ちをプラスにしています。それでも肉体はかわいいので、木曜日は、自分の稽古を休むようにしています。身体が筋肉痛で動きが取れなくなるのです。一日休養を取って、更なる高みを目指そうとするのです。そして、停止することなく、前進するための手立てを打つのです。課題は鬱積しています。それをこなさなければ、目標に到達しないのです。現場のスタッフが良く分かっています。それだけに、先頭に立とうとする気持ちが大きいのかもしれません。このような極真の人生を歩むとは思ってもみませんでした。それだけに、極めて行く覚悟をするのです。