2015年11月17日(八段語録2599)
誰にも相談することが出来ない時も

 日々感じるのですが、喜怒哀楽の人生という事です。しっかり焦点を定めて、対応しなければならないという事を思うのですが、時に悲しく、時に嘆かわしく、時に悲惨な思いが去来します。親として子供の事は、成人したら終わるのかと思っていたのですが、二十歳過ぎてからも手が掛かります。子供達本人はそのように思っていないにしても、親の心は、絶えず愛情の流れは止まらないのです。子供達を頼りとはしないまでも、三世代・四世代同居の道を模索しているのです。親が苦労して築き上げてきた伝統をどのように守り、新たな伝統を打ち立てていくことが出来るかという事を考えてしまいます。我が家の家督として、責任を持っている限り、我が家の事だけでなく、道場の事、親戚としての兄弟家庭の事、地域社会の事、様々な思いが去来するのです。そのような意味では、誰にも相談することが出来ない事情も生まれてきます。そして決断をしなければならないという事です。
 さて、先週は、原町小学生の花壇でのパンジーの花植え、市民センター祭りの交通整理、更生保護大会、様々な行事が重なりました。そして今週は、道場の合宿審査会が週末にはあるのです。私が手伝う事で、多くの人に祝福を与えられれば、嬉しいのです。当然、花咲爺さんのようにという事です。もちろん、自己中心的な性格の塊なので、奉仕に対しても限界はあるのです。その時はちょっと、ふて腐れ気味になります。それでも、誰もどうすることもできないので、自分で解決するしかないという事です。小悪魔に狙われて、狙撃されるような思いにもなります。そういう気持ちと闘って、投げ捨てないようにという気持ちで、自分を分別するだけなのです。
 折しも、そんなときは、気持ちばかりがはやります。「やる事をしっかりやる」と言い聞かせるのですが、足らない頭脳を最大限フル活動させ、知恵を持って対処するのです。誰も教えてくれる人などはいないのです。青春時代に培った対応戦法、すなわち組手の延長を演じるのです。そしてどうしようもない、環境から脱出するのです。この歳になって今も対応しているのですから、大変です。何度も言うようですが、誰とも相談することが出来ない事が多くあるのです。たった一人きりで立ち向かう事も辞さないのです。実際に行動して、多くの批判を受けるのですが、その時は夢中です。そんな連続の日々を送っているという事なのです。最終的な決断をしなければならないというのが家督としての役割なのかもしれません。
 人の人生が伸びている昨今です。健康寿命を意識して、迷惑をかけないように、さらに、いつまでも自立して動けるようにと願うのです。娘の順香からも、食事の指導を受けています。素直に従っています。というのも、健康を害して迷惑をかけたくないという気持ちが強いのです。我が家を治め、極真会館を発展させ、地域社会に貢献する道は、まだ険しいという事でしょう。それでも今日の一歩に全力を尽くして励んでいきたいという事です。午後からは、富谷町に向かって、日常のルーティンを行ってきました。結構遠くて、時間に遅れてしまいました。それでも一生懸命、時間の限り対応して帰ってきました。