2015年11月16日(八段語録2598)
北朝鮮旅行の思い出

 ちょっと思い出したのです。北朝鮮に小泉首相が拉致問題の解決に向かって平城に向かったその二か月前、私は中国経由で北朝鮮に観光に行ったのです。自由主義諸国からすれば、国交のない国にどのように、行くことが出来るかという事になるのですが、中国と北朝鮮とが国交がありましたので、そのルートで入ることが出来たのです。費用は結構掛かりました。今思えば、誰もが仰天するような事をやってのけたという事でしょう。滞在は四泊五日で、平城にあるホテルに泊まりました。平城空港は、昔の仙台空港のような、これが国際空港であるのかのかと思う程、みすぼらしいものでした。入国審査が長くかかりましたが、入国しました。しかし、もし何か問題を起こせば、日本には帰れないという気持ちも、横切りました。
 さて、市内の観光をしたのですが、信号機はなく、警察が手信号で車を誘導していました。電力事情が悪化していているという事でした。市内の十階建て以上のマンションも1970年に建設されていて、三十年近く経過しているので、古くなっているのと、エレベーターがついていないという事を聞いてびっくりしました。通りがかりの人々は純粋で、ニューヨークの通りの人達とは大違いです。それと、街並みの風景を写真に収めてはいけないという事でした。見知らぬ人達の乗り合いでしたが、団体ツアーという事になっていたので、二十数名に監視員らしいガイドさんが二人ぴったりついていました。一日が市内観光で、二日目が金剛山観光、三日目に白頭山という具合の観光でした。
 ところで、一番の印象に残ったのが、白頭山でした。マイクロバスで頂上まで行けるのです。その途中、道路工事をツルハシ一つで、多くの労働者が道を広げていました。頂上に着くと、眼下に天池があって、周囲が16キロぐらいなのです。反対側がもう中国領になっていて、望遠鏡でも兵士の姿が見えるのです。別に私は共産主義者でもないし、この国の事情をつぶさに見ているうちに、日本における自由がどれ程素晴らしいかを、感じさせられていました。連合赤軍のような左翼連中とは違った印象という事です。この国の人と、共産主義には悪いのですが、日本人として、日本に生まれた事がどれ程、有難い事かを痛感したのでした。かつて、北朝鮮が地上の天国であると宣伝を受けて、渡った日本人妻の人達は、どれほどこの北朝鮮で苦労しているのかと悲痛な思いになったのでした。このような国に忠誠を尽くすことになれば、大変な事になり、私なんか、何回も強制収容所に送られるように思えてならなかったのでした。
 なんでこのような二十年前の事を思い出すようになったか定かではないのですが、この北朝鮮にいた時ほど、日本の素晴らしさを思い抱くような、体験をしたことがないという事です。日本が恋しくて仕方がなくなったものです。もう白頭山に登ってから、帰るようになるまで、時間を惜しんで、出国したくて仕方がありませんでした。もちろん、パン一枚でも食べるのに苦慮する北朝鮮の人が可哀そうにはなりましたが、それ以上に日本に帰りたいという気持ちでした。四泊五日が何十年のようにも思えたのです。そして無事日本へ出国した時は、幸福感に満たされたのでした。何かこのブログで言いたいことがあるのですが、その趣旨とは違って、日本人として日本に生きていることの素晴らしさを実感したのでした。