2015年11月14日(八段語録2596)
心の持ち方

 今日は予定していなかった行事が入ってきました。朝九時には、交通指導隊の隊長からで、八時半から交通整理が入っていたという事で、急いで区民センターに直通でした。十時半まで立哨を行っていました。更に、お昼に北山事務局長より、錦が丘に二時までにと催促、夕方からは富谷町へ五時までという事で、目の回る一日でした。雨が大降りでしたので、交通渋滞も至る所でありましたので、四苦八苦というところでした。地域社会に対して、しっかりと使命を果たさなければならないという事と、道場の流れがスムーズになって来ているだけに、忙しさも増えてきているという事です。
結論として、幼きこの身を捧げて、極真会館宮城県本部の道を切り開かなければならないという役割があるという事です。何故か、理由は様々あるのでしょうが、今は一点突破できずに停滞するのです。その一点が開かれたならば、無限大に広がっていくように思うのです。それを成し遂げるには、苦労の道が待っているという事でしょう。更にもっと犠牲を払わなければならないようです。そういう立場に立って、何も惜しむ気持ちを持つことなく、辛いという事も思わずに前進という事です。
 さて、今は途上を通過しているという事で、まだまだ喜べるような状況は、始まっていないのです。指導者達を通じて、今の業績を上げていかなければならないのです。将来のビジョンを考えると足らなさだけが目立つのです。原点に返るならば、青少年の健全な教育の担い手は私達であるという自負心があるのです。極真に出会えば、もっと良くなるであろう、子供たちが大勢いるのです。この子供達に救いの手を差し伸べなければならないのです。そう思うと、私達が出会った極真空手の素晴らしさを実感しているだけに、自分の事など忘れて、これから入門してくる道場生の為に、汗を流し、自分が歩んでいることを、喜びとして、努力しようと思うのでした。
 ところで、そのような立場に立っているのが私という自覚が必要です。多くの道場生を引っ張っていかなければならないからです。そうしないと理想が出発しないのです。道場の理想化等は、夢の夢という事になります。あくまでも、多くの道場生の先頭になっていく気持ちが自分にあるのかという事を、問いただしたいのです。この道場の理想は、あくまでも私の決意にあるという事を感じさせられるのです。「すべては我が手より始まる」という意識が重要になってきます。そんなことを意識した一日でした。とにかく闘う闘士として、何をどのように取り組むかという事が明確になってきます。忙しさが増し加わって来ても、乗り越えていく決意が必要だと思うのでした。
 鬱陶しい雨が一日続きました。お空が裂けたのではないかと言うぐらいの雨です。しっかりと一日を踏み付けるように管理して、次に向かっていきたいと思うのです。妻も広島から帰ってきました。妻がいるといないとは天地の差があるのです。これほど安定して安心な事があろうかと思えるほど、確かな存在として映るのです。有難味を忘れていたという気持ちにもなります。妻との絆を大切にして前進という事です。息子も親の願いに則って、日々を過ごしているという事で、これも感謝です。