2015年11月13日(八段語録2595)
極真空手の奥義を求めて

 極真空手には、本当に神秘的で無限な宝石のような宝庫の内容を持っているのです。こんな私であっても、もうすでに四十数年の歳月を過ごしてきました。極真空手を心から好きになっているのです。そして、この期間、青春をかけて開拓をしてきたのです。多くの先輩の指導もありました。学ぶことが多くありました。それなりに、影響力を世間に与えてもきました。世間は、もう極真空手を無視することなどできないのです。今後、私に続く指導者達が、まだ眠っている極真資源を開拓・開発していくに違いないと思っているのです。まだまだ、この精神を開発に着手しなければならないと思うのです。私の人生においても、全人生と全財産を投げ打って、極真空手を守り開拓してきました。そうして、伝統を確保してきたのです。私の勝手な判断ですが、この精神には金銀財宝が詰まっていると思っているのです。生涯極真に関心を持って歩んできたのです。他の人が開拓した内容に関しては、そんなに欲しいとは思わないのですが、この極真精神に関しては、掘り当てたいという思いが強いのです。
 さて、極真の稽古は坑道の入り口のようなものです。ここから何十里もの穴をあけて、どのような財宝が詰まっているか発見するのです。これが問題なのです。いつの間にか、世界中に行って多くの国々の人達を指導するようになったのです。自分の持てる、培ってきたあらゆる能力、文化的背景そして伝統を投入して開拓してきたのです。そしてその開拓は今も続いているのです。誰が本当の極真を独占し占領するかという事です。このように世界中を回ってもう十年の歳月が流れました。世界の人達に多くの影響を与えてきたと思っているのです。そしてその責任は、まだまだ続くのです。誰にも築かれないうちに、人脈を作ってきました。多くの素晴らしい指導者が排出されているのです。あえて誰も考えなかった戦略で、人材の発掘をしてきたのです。
 ところで、この年齢になっても、未来世界に対して準備をしているのです。その起爆剤が道場生であり、指導者達なのです。もちろん、空手が好きだという背後に、稽古をするのも大変な時もあります。毎日の稽古は大変な苦痛を伴う事もあります。胸の内では、苦労したくないという、思いが渦巻きます。歳の事を嘆かずにはいられないのです。それでも、ヒマラヤを越えていくアゲハ鶴のように、限界を越えようと、もがくのです。そんな事を考えると休むこともできなくなります。股関節が痛んだり、坐骨神経痛がピリピリ来たり、様々な現象が起きます。それでも気持ちに、鞭を打って歩むだけなのです。何故にそのような気持ちになるのかというならば、将来の人材を育成して、平和な道を開拓しようとするのです。そこに大きなヒントがあると、勝手に決めて全てを賭けているのです。
 今日も元気フィールドで百人近くの道場生が、二部に分かれて稽古をしていました。小さな子供も、大人も、未来を見据えての汗を流しているのです。このような基盤が出来たことが奇跡でありますし、この稽古で多くの人材が羽ばたくのです。そして羽ばたくだけの凝縮した内容を、提示しているという確信を持っているのです。そのような事を実際に運営して、まだまだ足らないという思いが脳裏をよぎりますが、そんな自分に鞭打つのです。さあ、「これからだ」という事です。